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ハワイの波の神様、ナルオラ

2008年01月30日

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3月17日、今日もノースショア一帯はよい天気だった。バックヤードやサンセット・ポイントには色とりどりのセイルが海をクルージングしている。ウインド・サーファーが目立つようになると、ノースの波乗りのシーズンは終わりになるんだと、傳次郎がポツリと言った。北東のトレード・ウインドが強く吹きはじめるからである。


ロペスは波乗りの館にいた。サーフボードを片手に、サンセットの重鎮、ホフマンと話をしていた。マックスやローリーなど、ロペス・ファミリーが輪をつくって、波乗り談義の真っ最中だった。


ロペスは、トライ・フィン・ボードでの波乗りをファン・オブ・サーフィンと言う。隣で”コーチ”が、ロペスの足の状態を尋ねる。彼は、笑いながら「いいようだよ」と答えた後、バジー・カーボックスとトライ・フィンの話を続ける。その横では、ロニー・バーンズが耳を傾けていた。ロニー・バーンズはロペスが今一番気にかけている、18歳の若手クルー。「ハワイアン・プロ・ティー厶」では、ロペスが担当コーチなのである。


その夜、わたしとフォトグラファーの佐藤傳次郎は、ミセス・ロペス、つまり、ジェリー・ロペスのお母さんの家に、食事に招待された。ミセス・ロペスはハワイ生まれの日本人、いわゆる日系3世で、母方の故郷が新潟ということもあって、同じ新潟出身の佐藤傳次郎には人一倍親近感を持っていた。また、彼女は、芸術、特に日本の伝統芸術に深い理解を示す、グレート・マザーである。ミセス・ロペスは、あの写真、昨春、傳次郎が撮ったパイプラインのロペスのライディングのなかにハワイの波の神様、ナルオラが写っているのを見いだしていた。


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話しは1983年3月に遡(さかのぼ)る。ジェリー・ロペスが大怪我を負ったシーズンに佐藤傳次郎もまたパイプラインのインサイドで巻かれ、自分の水中カメラのハウジングで額に裂傷を負っていた。傷が癒えたロペスが波乗りを再開したのと時を同じくして、傳次郎もまた再び海に戻り、初めて入ったパイプラインでジェリー・ロペスと出会った。当然、サーファーとカメラマンのセッションがはじまり、傳次郎は幾枚かのロペスの水中写真をモノにしていた。そして、傳次郎はいつものように波乗りの館でスライド・ショーを開いた。


その時、何枚かのスライドにいろいろなハワイの神様が写っているのを発見したのがロペスの母親だった。そのうちの1枚は、ロペスがボトム・ターンをしている写真で、彼の後ろでブレイクする波のなかに、古代ポリネシアンの男の横顔がはっきりと映し出されていた。その荘厳な表情はハワイの海の神、ナルオラに間違いなかった。


このナルオラの写真は、3月22日付けのホノルル・スター・ブレティン紙夕刊に「An Eye for Wave Gods」というタイトルで海の神に関する記事が掲載され、ローカルの間で話題になった。この夕刊紙はノースショアでは午後5時にはソルド・アウトになったが、傳次郎は、自分の写真が掲載された新聞を買うことができず、その反響の大きさに驚かされていた。しかし、数日後、この記事の切り抜きが10枚近く傳次郎の手元にノース住民から寄せられた。ポスト・オフィスのおばさんからロコ・サーファーまで、佐藤傳次郎はノースショアでは幅広くファンを持つまでに生活の根を下ろしていた。


3月23日、朝から波乗りの館には、ある種の興奮と熱気が渦巻いていた。まだ大きくはないが、確かなウエスト・スエルがノースの各リーフにヒットしていたからである。エフカイ・ビーチパークのライフガード、マーク・カニングハ厶は、インテルサットから送られてきた天気図を見ながら、今シーズン最後のビッグ・ウエーブの到来を予感していた。今日はすてきなショーが見られるぞと、弾んだ声でわたしに話しかけてきた。


昼頃には8フィートほどのパイプラインが姿を現した。ローリーは、いち早くガンをとり出し、海に飛び込んでいった。朝一番の波乗りを終えていたロペスは、バジーと午後から乗るボードについて話し合っていた。


午後2時には10フィートのパイプラインが出現した。風はややサイドからの軽いオフショア。バスが1台丸々入るぐらいのルームができるほどの、ほぼ完璧なパイプラインだ。マックス・メンディアスやジェームス・ジョーンズ、マカハからはジョニー・ボーイ・ゴメスらが続々とパイプラインに入っていく。ダニエルがボディボードで真っ逆さまにボトムにドロップする。チューブを抜けた彼は、リップに乗ってエアループを成功させる。まさにサーカス・マジックなライディングだ。ボディボーダー、ナンバーワンの実力か。波乗りの館に集まっていたサーファーたちから歓声が上がった。


うねりは3~4本のセットとなり、沖のサーファーたちはセットを追って右の方に寄ってゆく。波乗りの館で見ていた”コーチ”は、彼らのポジションは間違っていると、話す。左(サーファーたちから見て右手の方角、つまりバックドア寄り)にポジションを取らなければ、今のコンディションのパイプラインはテイクオフできないよ、とつぶやく。


ジェリー・ロペス、バジー・カーボックス、ローリー・ラッセルらのセッションがはじまっていた。ローリーのライディング・フォームとジェリー・ロペスのそれは非常に似ている。しかし、ロペスのライディングは、まさにロペスそのものなのである。傳次郎は、「あんなに大きなパイプラインを笑ながらテイクオフできるのは、ロペスだけでしょう」と言う。


今シーズン最後のウエストのうねりは、今シーズン最大の波をパイプラインにもたらした。その日、1984年3月23日のことだった。




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