ハワイの空は晴れ渡っていた。ワイメア・パークにあるエディ・アイカウのメモリアル碑の前では、午前10時よりエディを追悼するため、アイカウ家をはじめその関係者、そしてハワイ中のライフガードが集まってきた。
6年前(1978年)の3月16日、エディ・アイカウら16名のクルーを乗せたホクレア号がタヒチに向けて出航した。しかし、その夜、大きなストームに巻き込まれ、ホクレア号は遭難してしまった。SOS信号などでホクレア号は救助を要請したのだが、船と飛行機からの捜索は荒れ狂う海と暗闇のなかで困難を極めた。翌17日の午前、大波と強風によって転覆したホクレア号の船体はさらに沈みはじめ、船底の縁につかまりながら救助を待つ乗組員の体力は限界に達していた。エディ・アイカウはライフガードとしてこのホクレア号に乗り組んでいたので、自分の職責を果たすのは今しかないと決断した。彼は、一番近いラナイ島まで12マイル(20km弱)、ホクレア号に積んでいたレスキュー用サーフボードでなら5時間で行けるだろうと予測し、自分が救助を呼びに行くと申し出た。ホクレア号の船長らは、彼の提案した可能性について協議し、エディなら行ける(Eddie Would Go)だろうと結論を下した。エディ・アイカウは、ストロボ・ライトを取り付けたサーフボードのリーシュ・コードを足首に結び、首にはオレンジを数個、腰にライフ・ジャケットを躊躇しながら結びつけ、出発した。何人かの乗組員は、エディ・アイカウがパドリングに邪魔になるためライフ・ジャケットを投げ捨てて、力強くニー・パドリングしながら波間に消えていくのを見ていた。それがエディ・アイカウの最後の姿となった。
こうして、勇敢なエディを偲んで、エディのゆかりの地、ワイメア・ベイにメモリアル碑が建てられていた。エディが行方不明になったから6年後のこの日初めて、偉大なハワイの海の男のためにライフガードたちはワイメア・ベイでセレモニーを催したのであった。
ライフガードたちは、メモリアル碑に献花し、祈りを捧げた。その後、彼らは、足ヒレを持ってベイに入り、ポイントまで泳ぎ、花を流し、再び祈った。この日、ノースショアは3〜4フィートのうねりが到着していたが、ベイは大き揺蕩(たゆた)うだけで、波はブレイクすることはなかった。
エフカイ・ビーチパークのライフガード、マーク・カニングハ厶もまたそのなかの一人として参加した。彼は、1982、1983年のボディ・サーフィンのチャンピオンに輝いた優秀な海の男であり、また、かつてエディがそうであったようにライフガードであることに誇りを持っていた。マークは、エディをハワイの英雄として尊敬していたし、かつて一緒に仕事をした仲間であったことにも誇りを持っていた。
マーク・カニングハ厶は、子どもの頃からライフガードに憧れていた。エディ・アイカウのように勇猛果敢なハワイアン・スピリットを持った海の男になりたかった。式典が終わった後、マーク・カニングハ厶は、いつもの職場、エフカイ・ビーチパークのライフガード・タワーに戻った。
エフカイ・ビーチパークは春の太陽が充満し、ゆっくりとした時が流れていた。この季節は、観光客もそしてサーファーも少ない。目が離せない子どもたちも学校へ行っていて、ここにはいない。あれほど激しかったノースの波も優しくビーチに打ち寄せている。海底のリーフには砂がかぶさり、サンド・バアを形成し、澄みきった海はエメラルド・グリーンのタイルを貼っている。
マーク・カニングハ厶は、きらきらと光り輝く平和な海をのんびり見つめていた。彼は、やはり春が一番好きだと、言う。冬のシーズンは、毎日が緊張の連続である。海外から大勢のサーファーたちがノースの波を挑戦しにやって来る。そして、それを見にさらに多くの観光客が。サーフィン誌のフォトグラファーのカメラの砲列を前に、サーファーたちは実力以上の演技を試す。結果は、自然の猛威の前に傷つく。時として15フィートを超えるベイに入り、ライフガードたちは彼らをレスキューしなければいけない。
でも、そんなノースショアでライフガードをやることができて、とても幸せであると、彼らは言う。海の男として、本物の実力が要求されるノースショアは、ライフガード冥利(みょうり)につきる場所でもある。プロ・サーファーたちも、そんなライフガードの役割をよく知っているし、お互い暗黙のうちに理解しあっている。彼らは、ブラと呼びあう兄弟なのである。

ジェリー・ロペスは、1月に若いサーファーにドロップ・インされ、30数針の裂傷を足に負った。その傷も癒え、マウイからここ波乗りの館にやってきた。ロペスが戻ってきたことを知らされたポール・”コーチ”・ピーターソンをはじめとして、ローリー・ラッセル、主治医のドクター・ダン、バテンス・カラヒオカラニ、バジー・カーボックス、ロニー・バーンズら、ロペス・ファミリーが大集合して歓迎した。
さっそく、ロペスは3〜4フィートのパイプラインに、エリック・アラカワがプレゼントしてくれたトライ・フィンで久しぶりの波乗りを楽しんだ。海から上がってきたロペスは、足の傷の具合を調べながら、昨年の怪我の様子をわたしに話しはじめた。
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