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トリプル・クラウン・オブ・サーフィンという由緒あるサーフィン大会

2007年12月19日

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トリプル・クラウン・オブ・サーフィン(以下トリプル・クラウン)は、その名前が示す通り、ノースショアで行われる3つの大会の総称で、3つの王冠を意味している。このサーフィン・コンテストは、1983年にフレッド・ヘミングスとランディ・ラリックによってはじめられた。フレッド・ヘミングスは、1968年プエルト・リコで行われたワールドカップ・サーフィン・コンテストの第1回世界チャンピオンで、1995年には『The Soul of Surfing is Hawaiian』という著書を出版している、サーフィン界の草分け的存在の人だ。ランディ・ラリックは、ノースショア在住のシェーパーであり、やはりプロ・サーファーの初期のメンバーの一人だ。現在でもこの3つのコンテストの陣頭指揮を取っているランディ・ラリックは、トリプル・クラウンがはじめられた当時のいきさつについて、次のように語る。


「当時、IPSというプロ・サーフィン協会があったが、1983年にASPに組織替えされた。その時、新しい冠スポンサーの要求でツアーの最終戦をハワイからオーストラリアに変更されてしまった。プロ・サーフィンの世界選手権の最終戦をサーフィンの故郷であるハワイでやることに意義があったわけだし、それゆえにハワイのサーフィン・コンテストは、ビッグ・ウエーブでの大会として注目を集めてきた。最終戦がオーストラリアに移ってしまうと、ハワイでのコンテストは影が薄くなってしまうことを恐れたフレッド・ヘミングスは、私に相談してきたんだ。それで、ハワイ・シリーズとしてやってきたハレイヴァ・アリイ・ビーチのハワイアン・プロ、サンセット・ビーチのワールド・カップ、そしてエフカイ・ビーチパークのパイプ・マスターズの3つのコンテストをトリプル・クラウンと総称して、ハワイだけの王座を決めるシリーズ戦として再出発させることを決めたんだ。これが今のトリプル・クラウンの原点なんだ。」



トリプル・クラウンは、こうしてASPのツアーに組み込まれたものの、ハワイだけの王座を決める3試合のシリーズ戦として、1983年より新たにスタートすることになった。その後、1988年にフレッド・ヘミングスはハワイの州知事選挙に出馬する資金捻出のために、トリプル・クラウンの権利をサーファーではないハワイの実業家のフレッド・ウイリアムソンに売却するが、サーフィンの知識がまったくない彼に代わり、ランディ・ラリックは引き続きトリプル・クラウンの面倒を見ることになる。


現在でも、トリプル・クラウンは、毎年11月12日から12月20日まで約40日間の日程で、「ハワイアン・プロ」がハレイヴァ・アリイ・ビーチ、「ワールド・カップ」がサンセット・ビーチ、「パイプ・マスター」がエフカイ・ビーチでそれぞれ行われている。1998年からASPの試合方式が変わり、トリプル・クラウンは、世界のトップ44名のサーファーが出場するWCTの最終戦であるパイプ・マスターズ、そしてWQSの最終戦であるワールド・カップという2つのサーキットを混ぜ合わせたASPのハワイ・シリーズとして続けられている。


この3つのコンテストに出場するために、アメリカ本土をはじめ、日本、オーストラリア、南アフリカやヨーロッパ(主にフランス、スペイン、ポルトガルと英国)、そしてブラジルやプエルト・リコなどからプロ・サーファーが大挙やってくる。1996年度より導入されたインターネット上での大会生中継や、各ヒートの勝ち負けが瞬時に判定できるコンピュータ化されたジャッジ・システムなど、ほぼ完璧にオーガナイズされたこの規模の国際大会となると、会場設営や人件費、賞金を含めて大会経費として、3大会合わせて100万ドル近いお金が必要、とコンテスト関係者は語る。


1997年、コンテストを主催していたフレッド・ウイリアムソンは、カリフォルニア州サンタフェ・スプリングスに本社を置くシューズ・メーカーのバンズ社にこのトリプル・クラウンの権利を売却し、話題になった。フレッド・ウイリアムソンの会社は、今までトリプル・クラウンを開催するため、年に100万ドル近くの資金を調達しなければならず、ビジネスとして売り時であったことには違いない。第1回のトリプル・クラウン以来、コンテスト・ディレクターとして手腕を奮ったランディ・ラリックは、バンズ社からエグゼクティブ・ディレクターとして引き続き指揮を取るよう要請されたのである。


この興行権買収の背景には、ライセンスの取得という経済的側面を持っている。なかなか儲かりにくいコンテストから上がる収益を目的にしたものではなく、毎年世界有数のビッグ・ウエーブで行われるサーフィン・コンテスト「トリプル・クラウン・オブ・サーフィン」の抜群の知名度を商品展開に利用するライセンス生産にあるわけだ。バンズ社では、さっそくトリプル・クラウン・ブランドとして自社のクロージングなどで展開している。


バンズ社はスケートボード用シューズから出発した1966年創立の比較的新しい企業だが、スケートボードやサーフィン、スノーボードといったニュー・スポーツ(アクティブ・スポーツとも呼ばれる)の普及とストリート系ファッションの流行により業績を伸ばしている。バンズ社は、すでに1997年度よりトリプル・クラウンという名称を生かして「トリプル・クラウン・オブ・スケートボーディング」という大会をアメリカ本土で開催している。


このようなサーフィンというスポーツを商品や企業のイメージ・アップやブランドのひとつとして展開する企業が最近目につく。10年ほど前には、スキー・メーカーのK2社がアメリカや日本などのサーフィン専門誌に1ページの広告を掲載し、世界中のサーファーに注目を集めた。ビッグ・ウエーブ・ライディング・コンテストと銘打たれた広告は、世界一大きな波に乗ったサーファーにK2社は、賞金5万ドルを差し上げるという内容のもので、証拠として波のサイズが予測できるライディング写真(カメラマンには賞金5,000ドル)の提出を義務づけ、サーファーは波のボトムまで下りていなければならないなど具体的に写真コンテストの応募要項が掲載された。




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