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バレンタイン・デイ前日の大波

2007年11月13日

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トッド・チェッサーの死は、1997年のノースショアで最も大きな事件となった。ここに住む多くの住人にとって彼の死はあまりにも身近なできごとであり、彼の死が伝えられたその日の夕方にはノースショア全体が深い悲しみに沈んでいた。また、トーイン・ロープを右の太ももにからませて肉をそいでしまったミルトン・ウイリスをはじめ、多くのサーファーやボデイボーダーたちがこの日押し寄せた大自然のパワーの前に深く傷ついていた。


1997年2月13日(木曜日)、その日は、バレンタイの前日だった。ノースショアの各ビーチは15フィート・オーバーの波が押し寄せていた。そのうえ、風速15〜25ノットという東よりの強いトレードウインドが吹くストーミーなコンディションであった。トッド・チェッサーは、コディ・グラハムとアーロン・ランバートの二人をさそって、レフト・オーバーとアリゲータ・ロックのあいだで割れる沖のモンスター・ブレイクに向かった。


コディ・グラハムはいう。「ピークで12〜15フィートあったけど、海に入った午前11時ごろいきなり大きなセットが入ってきたんだ。最初のはクリアできたんだけど、その次のやつはあまりにもデカすぎたんだ。それにわたしたち3人のポジションが悪すぎたね。最悪の時に最悪の場所にいたんだよ。」


2回目のブレイクが治まってグラハムが海面に出ると、トッドはすでに意識不明の状態で海面に浮いていたという。グラハムとアーロン・ランバートは急いで海のなかで蘇生をはじめたが、トッド・チェッサーの意識は戻らなかった。アーロン・ランバートは助けを呼ぶべく、自分のサーフボードをグラハムに渡して、岸に向かって泳ぎはじめた。そのとき、再び10フィートの波がブレイクし、グラハムはトッド・チェッサーを見失ってしまった。


トッド・チェッサーを海のなかから拾い上げたのは、テリー・アフエである。テリーは、当時ノースショアを統括するライフ・ガードのスーパー・バイザーとして活躍するベテランのライフ・ガードであり、ケビン・コスナーの映画「ウオーター・ワールド」でも華麗なスタントを披露したジェット・スキーの名手でもある。テリー自身、トッド・チェッサーがスタントを演じていた映画「イン・ゴッド・ハンド」※注3では、スタントマンたちをバック・アップするサポーターとしてジェット・スキーを駆って参加していたのである。「彼はすでに息もしていなければ、心臓も動いていなかったよ。もうこんな仕事辞めたいね」と、子どものころからトッド・チェッサーを知る彼は、ほとんど身内同然の若者の死を見取ったそのショックを隠せなかった。


わたしが現場であるレフト・オーバーのポイントの前にあるちょっとした木陰の脇を通りかかったのは、テリー・アフエが瀕死のトッド・チェッサーをスレッドに乗せて岸まで運び、救急車がまさに彼をワヒアワの病院へ運ぶ瞬間だった。担架の上のトッド・チェッサーの顔は、すでに血の気が引き、青みがかった白色をしており、口には気道を確保するためのチューブが挿入され、首はコルセットで固定されていた。しかし、誰も心臓マッサージも、そしてまた人工呼吸などの救命処置をしておらず、すべてが終わっていた。重苦しい空気だけがそこにはあった。


ハリウッドの冒険映画「イン・ゴッド・ハンド」では、ブライアン・ケアウラナ等とともにスタントで出演し、彼は最近自信をつけていたと、サーフィン・フォトグラファーの一人はいう。母親のジェニー・チェッサーは、そんな息子を心配していたというような話も伝えられてくる。ベテラン・サーファーである母親のジェニー・チェッサーはサーフボードのエアブラシ・アーチストとして活躍しており、またコンテストのジャッジでは辛口の採点で有名な海の女だ。マイケル・ホーとデリック・ホーの母親であるジョエーン・ホーは、「ジェニーとは、彼女がフロリダからここにやってきたときから知っているの。トッドは3歳だったの。でも、だからといってデリックが死ぬなんて今でも考えられないの」、と自らもシングル・マザーとして子育てをしてきた母親として、最愛のわが子を亡くし失意のどん底にいるジェニー・チェッサーを気づかっていた。


あのショーン・トムソンが華麗なサーフィンを見せるシーンもある冒険映画「イン・ゴッド・ハンド」の主役の一人を演じているのがシェーン・ドリアンだが、トッドが死んだその日、彼はマウイ島のジョーズにいた。「トッドが死んだなんて、信じられないよ。あの日はジョーズにいたんだけど、15〜18フィートの大波があってなかなかだったよ」と、わたしに語った。


「イン・ゴッド・ハンド」が撮影されていた当時、ジョーズには生臭いうわさが絶えなかった。その年、ジョーズ・インビテーショナルというトーイン・サーフィンのコンテストがセットされたこともあった。賞金総額10万ドル、ペプシのスポンサーでCBSの全国ネットで放送されるという企画である。ジョーズといえば、いまやトーイン・サーフィンのメッカとなった感があるが、ユリ・ファーラントがその年、ジョーズから締め出されたのである。ユリ・ファーラントは、「イン・ゴッド・ハンド」でも水中部分を撮影するなど、サーフィンのムービー・メーカーとしては第一人者のひとりだ。そのユリが、「あなたに貸せるボートはこの島にはありません」と断られたのだった。


当時、マウイにはこのジョーズ・インビテーショナルにたいしていろいろな意見があった。ひとつは、ジョーズは危険なポイントで、コンテストをするような状況にないという意見。つまり、トーインではしゃいでいると、いつか死人がでるという慎重論だ。賛成論は、ケン・ブラッドショーなどオアフのビッグ・ウエーバーたちのライディングが見れるから、いいじゃないかっていう意見だ。反対の意見を集約していくと、ひとつはジョーズをこれ以上有名にさせたくないというローカリズムと、そして、金にまつわるトラブルややっかみがあるように思われる。ラスティ・ロングボード・コンテストとこの大会をプロモートする男がスポンサーやテレビ局から金を独り占めして、地元にお金が落ちないという邪推もあった。また、トーインの先駆者であるレイアード・ハミルトンやデイブ・カラマ、ジェリー・ロペス、デリック・ドーナー、マイク・ウオルツたちがコンテストに出場しないのは、すでに彼らがトーインによってテレビに出演したりビデオやスポンサーによって十分稼いだからだ、というやっかみも聞かれた。


オアフ島でトーイン・サーフィンをリードしている一団がいくつかいる。ロス・クラーク・ジョーンズ、シェーン・ホラン、マイケル&ミルトン・ウイリス、ケン・ブラッドショー、クライド・アイカウ等である。トッド・チェッサーが死んだその日、彼らはバックヤード沖のモンスター・ブレイク、ファントムで20〜25フィートの波をキャッチしていた。彼らはまた、スポンサー探しの真最中である。「CBSだよ。アメリカの全国ネットで放送されるし、命もかかっているから最低でも20万ドルは欲しいね」と、ジョーズ・インビテーショナルに名前がノミネートされているオーストラリア人のサーファー、シェーン・ホランは。その年そう語っていた。


トッド・チェッサーが死んで、スポンサーシップの金額が、ギャンブルの掛け金が上がるように引き上げられたという。もし本当なら悲しい話である。




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注3:
イン・ゴッド・ハンド(In God`s Hands)は、1998年春に公開されたビッグ・ウエーブを追いかけるサーファーたちを描いたハリウッド制作の青春冒険映画。監督はザルマン・キング、主演にシェーン・ドリアンが抜擢されるなど、その当時、サーファーたちの間で話題になった。

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コメント

投稿者 WSJ : 2007年11月15日 12:41
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