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テリー・アフエ

2007年10月18日

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ライフ・ガード(注1)は、いってみれば海の掟(ルール)を守る番人なのだろう。ところが、えてして海の掟はヒトが作った掟と相いれない。矛盾だらけの人間社会の掟など大自然の前では用をなさないからだ。こうした大自然の掟のなかで生活しているライフ・ガードは、そんな社会とのルールとの狭間に悩むこともある。


テリー・アフエに初めて会ったのは、まだわたしがハワイに移住する前のことだ。取材のためにノースショアを訪れていたある日のこと、ププケアの丘の上に住む旧知の友人夫妻の家で催されるバーベキュー・パーティに誘われた。そのバーベキュー・パーティは、フイ・オ・ヘエナル(注2)のメンバー、いわゆるブラック・ショーツと呼ばれるサーファーたちローカルのパーティで、友人は、わたしのために顔見知りになっておくほうがいいだろうと考えて、そのパーティに招待してくれたのだ。その場にはファースト・エディことエディ・ロスマンスをはじめ、スクイジーやジュニア(故人)など、強面(こわもて)のブラック・ショーツの顔ぶれが並び、友人はその一人一人を紹介してくれた。そのなかにテリー・アフエがいた。友人は笑いながらわたしにこう紹介してくれた。


「テリー・アフエ、彼はフイ・オ・ヘエナルの会計係だよ」と。テリー・アフエは、わたしに「ライフ・ガードをやっているから、何か困ったことがあればいつでも声をかけておいで」


と、ノースショア式の挨拶でわたしの手を握り返してきた。
ノースショアに住みはじめてみると、四方を海に囲まれた島国ハワイの生活のなかで、毎日目にするライフ・ガードの存在の大きさを実感し、わたしは興味を持ってライフ・ガード、テリー・アフエと接することとなった。


オーストラリアのサーファー、シェーン・ホランは、ライフ・ガード、テリー・アフエのついての印象深いシーンを目撃していた。ノースショア・シーズンにはいった冬のある日、シェーン・ホランは、レイアード・ハミルトンやミック・オブライエン(注3)らと連れ立ってエフカイ・ビーチ(注4)で波をチェックしていた。波のサイズは6フィート・オーバー(2メートル前後)。隣り合う二つのサーフ・ポイント、パイプラインで崩れた波とププケアで裂けた波がちょうど真ん中辺りでぶつかり合い、白く渦を巻いていた。


「ちょうど波がぶつかり合う辺りで、テリーが手を大きく広げて海中にある何かをつかもうとして上半身を水のなかにいれたりだしたりしていた。テリーには緊張感が漂っていて、これはただごとではないなと、直感したよ。そのうちに彼は、何かを海のなかから引っ張りだしたんだ。中年の白人の観光客で、洋服も着ていた。テリーはすぐに溺れた男性をジェット・スキーに装着した救命用スレッド(注5)に引き上げて、その場で人口呼吸をはじめたんだ。ほんの5分ぐらいの間のできごとだったよ」


溺れたその男性は、病院へ急ぐ救急車のなかで息を吹き返したという。
その後、サンセット・ビーチでテリー・アフエと会った時に、シェーン・ホランらが目撃したその救出劇について、尋ねてみた。


「危険なのは、海のことをまったく知らない観光客なんだ。ノースショアの海をバックに記念写真を、と言っている間に打ち寄せてきた波にさらわれてしまうんだ。あの時は本当に危なかった。でも助かってよかったね」


と、テリーは、その救出劇をなにごともなかったように話す。あの時、彼自身も、溺れて意識不明になった200パウンド(90キログラム)の男性を抱え、沖に向かう強いカレント(潮流)にはまり体力を使い果たしていた。応援に駆けつけた同僚のライフ・ガードが投げたロープにつかまり、ことなきを得たという。


テリー・アフエは、ノースショアでもっとも優秀なライフ・ガードの一人だ。世界中からここハワイに波乗り修業にやってくるサーファーたちが口をそろえて「世界一優秀なライフ・ガード」と絶賛するハワイのライフ・ガードたちのなかにあっても、「テリーがベスト」とみんなが認める、海で頼りになる存在なのだ。20フィートを越える波が押し寄せる日のワイメア・ベイには、逆巻く波を自由自在にジェット・スキーを操るテリーの姿が必ずある。ビッグ・ウエーブに挑戦するサーファーたちに何か不測の事態があればいつでも救助できるようにとの配慮からだ。


初夏のあるとき、ノースショアには季節外れのちょっとした波が押し寄せていたときのことだ。わたしは、ライフ・ガードとサーファーの関係、絆を感じるできごとを目撃した。その日、海際にあるサンセット・ビーチのパーキング・ロッドに車を停め、波を見ていたときのことだ。コバルト・ブルーに輝くサンセット・ビーチの波打ち際では、タウンからやってきた観光客たちが、浮輪やビニール製のボートで水遊ぶを楽しんでいた。と、そこにサンセット・ポイントの正面が壁立つほどのセットが入ってきた。ローカルたちが2,000本に1本やってくると恐れる「オバケ」セットである。危ないなっと思うまもなく、インサイドに押し寄せた波は、再び沖に向かうカレントとなって、波打ち際にいた7~8人の観光客を浮輪やビニール製のボートごとロッキー・ポイントの方へ押し出してしまったのだ。ライフ・ガード・タワーにいたライフ・ガードたちはすぐさま彼ら観光客を救うべく救助に向かったのだが、手が足りず2組ほどの観光客がどんどんと沖のブレーク・ポイントに吸い込まれていく。と、4~5人のサーファーが海に飛び込み、残りの観光客の救助に向かって、事なきを得たのだった。とはいえ、最後に救助された男性の観光客はビニール製のボートごとショア・ブレイクで岸にたたきつけられてしまったのだが。その男性は、お礼もそこそこに消えていなくなった。


このようにひとたびノースショアに波が立つと、ライフ・ガードの手が足りず、回りのサーファーが沖に流された海水浴客を救助に行くといったシーンをたびたび目撃しているが、ハワイではライフ・ガードとサーファーたちは、お互いに「ブラ(兄弟)」と呼び合う、ハワイ独特の深い絆で結ばれているのだった。それでも、それについて問うてみると、テリー・アフエは、口では身内であるはずのサーファーたちにそっけないのだ。


「サーファーは荒海を承知ではいっているんだし、彼らは彼ら自身、自分たちで助け合うしかないんだよ。ライフ・ガードはそこまで目が回らない」ともいう。それでも、彼の目線の外れにはサーファーの姿があるに違いない。


テリー・アフエがサーフィンをはじめたのは15歳のときだ。ハワイでは比較的遅いほうだが、物心つくころからずーとボディ・サーフィンを楽しんでいたという。ボディ・サーフィンは、ライフ・ガードやサーファーに限らず、ハワイの海で遊ぶには基本的な必須アイテムといえる。


「ハウラのビーチはボディ・サーフィンに最適なビーチなんだ。サーフィンをやるようになってからはノースショアにやってくるようになったけど、小さい頃は毎日ハウラのビーチで遊んでいた」。


ハウラ・ビーチは地元の人たちがよく行く、ローカルのお気に入りビーチだ。20台ほどが入れる駐車場があり、キャム・ハイウエイからは背の丈ほどの高さの熱帯常葉樹で隠されて見えない、ハワイにしてはこじんまりとしたローカルなビーチである。このビーチのあるハウラや隣のライエにはハワイアンやサモアンなど、ポリネシアン系の住民が多く住んでいる。彼は、古き良き時代のハワイの気配が色濃く残るこの地域で生まれ育った。


テリー・アフエがライフ・ガードになったのは、23歳のときだ(注6)。


「サービス(兵役)を終えた後、すぐにライフ・ガードになったんだ。なぜって? なりたかったからさ。」


海と共に生きてきた彼の環境がライフ・ガードという職業を彼に選ばせたのかもしれない。


ハワイのライフ・ガード組織は、ハワイの観光産業育成のため一環として、ホノルルシティ&カウンティの一部所として1940年に導入された。設立初期に採用されたライフ・ガードたちのほとんどはサーファーで、いわゆるいつも海辺にたむろするビーチ・ボーイだった。当時、海で遊んでいた彼らは、すでに大勢の観光客を助け上げていた。


「わたしがライフ・ガードになった当時、ワイメア・ベイではエディ・アイカウが、マカハではバッファローが現役バリバリでやっていたんだ」。


ハワイでは基本的に、ライフ・ガードは毎日同じビーチに勤務する。ライフ・ガードを続けているかぎり、そのライフ・ガードは生涯同じビーチにいるわけだ。


「ライフ・ガードは人命救助や適切なアドバイスができるように、刻一刻変化する海の状況に応じて、どこにリーフの深みができているのか、どこに沖に流れるカレントがあるのかといった、その周辺一帯の海のすべてを知っているエキスパートでなければならないんだ。だから、ライフ・ガードは3~5人のチームを組んで、サンセット・ビーチのライフ・ガードはサンセットのスペシャリストに、エフカイ・ビーチのライフ・ガードはエフカイやパイプラインのスペシャリストに、といったように同じビーチに勤務する体制になっている」


と、テリーはいう。ビーチ・ボーイというハワイ独特の風習・文化がハワイ独特のライフ・ガード・システムを生み出したといえよう。


エディ・アイカウやバッファローがハワイアン・スピリッツを重視した伝統的なライフ・ガードだとすると、テリー・アフエやバッファローの息子のブライアン・ケアウラナは、テクノロジーを駆使するニュー・ウエーブのライフ・ガードだろう。彼らは1990年、世界に先駆けて救助活動にジェット・スキーを導入するなど、装備の近代化を計り、ライフ・ガードの概念そのものを変えた。その後、彼ら二人が中心になってジェット・スキーに牽引させる救助用ソリ、スレッドを開発するなど、世界中のライフ・ガードから脚光を浴び、日本をはじめほかの国のライフ・ガードたちもジェット・スキーと救助用ソリ、スレッドをセットとして取り入れている。


「趣味でジェット・スキーをやりだしたのは1970年代の後半。当時、ブライアンなどとウエーブ・コンテストをやったりしたんだ。ジェット・スキーを救助活動に使おうと思ったのは、サーフィンのコンテストの時に選手やカメラマンをジェット・スキーでサーフ・ポイントに運んだりしているうちにでてきたアイデアなんだ」。


わたしも1980年代はじめにタートル・ベイで行われていたジェット・スキーのコンテストを取材した思い出がある。テリー・アフエのジェット・スキーの卓越したドライビング・テクニックはハリウッドのお眼鏡にもかなった。彼は、ケビン・コスナー監督・主演の映画「ウォーター・ワールド」に出演、ジェット・スキーでスタントを披露しているのだ。


「映画って、面白いね。まったく出番がなくてもスタント・マンとして一日250ドルもらえる。エア・ループとか際どいスタントをすると演技料がプラスされる。撮影に二カ月もかかってしまい、もらい過ぎだと思ったね」。


その後、「イン・ゴッド・ハンド」の映画でも、エスコートとしてジェット・スキーを駆って参加している。


「その時は、あと5年ライフ・ガードをやれば年金がもらえるようになるから、そうしたらライフ・ガードを辞めてハリウッドに進出しようかな」


と、冗談を言ってその当時を思い出して笑った。その後、テリー・アフエはライフ・ガードをリタイアし、念願の会社を興した。もちろん、特技のジェット・スキーの腕前を生かした民間ライフ・ガード会社である。


ハワイのライフ・ガードは使命感がとても強い。それはリタイヤしても同じである、という。わたしが、今までに殉職したライフ・ガードはいるんだろうかって、尋ねたところ、テリーは思い出すようにつぶやいた。


「悲しい話だよ・・・」


ジョニー・ライトはマカハを代表するライフ・ガードの一人だった。ライフ・ガードを辞めたあとも海をこよなく愛した彼は毎日のようにビーチに通っていた。56歳を過ぎたある日、いつものようにビーチにいたジョニーは、溺れた観光客を助けようと海に飛び込み、そのまま再び姿を現わさなかった。


「・・・あっけない最後だったよ。」


主人の帰りを待つ愛犬と主のいなくなったビーチ・サンダルだけがいつまでもビーチに取り残されていたという。ライフ・ガードを辞めても体に染みついたハワイのライフ・ガード魂。なんとも因果で悲しい性(さが)なのであろう。




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注1:
ハワイのライフ・ガードは、ホノルル・シティ&カウンティに所属する地方公務員だ。勤務時間は朝9時から夕方5時半まで。週5日働き、夏休みもある。テリー・アフエの現役時代は、スーパー・バイーザーとしてノースショアにあるすべてのライフ・ガード・タワーを見回っていた。ハワイではライフ・ガードを置いているビーチは、オアフ島25カ所、マウイ島5カ所、ビッグ・アイランド5カ所、カウアイ島7カ所、ハワイ全島では42カ所ある。オアフ島には、89名のライフ・ガードと90名のパート・タイム、合計179名のライフ・ガードが在籍している。(1997年12月のデータ)


注2:
フイ・オ・ヘエナル(Hui O HeeNalu)は、ハワイ語で「波乗りの会、つまりサーフ・クラブ」の意。ローカリズムの高まりのなかでノースショアのローカルたちの青年自警団的組織として、1976年に設立された。古代ハワイアンが岩に刻んだサーファーのペトログリフ(陰刻画)をモチーフにしたマークが有名。その後、オーストラリアのサーファーたちと波をめぐるいさかいが起こり、和解の印としてクイックシルバー社からフイ・オ・ヘエナルのマークの入った黒のサーフトランクスが贈られ、ノースショアのローカルたちがみんなそれを履いて波乗りをしていたために、フイ・オ・ヘエナルは別名ブラック・ショーツと呼ばれるようになった。


注3:
シェーン・ホラン、レアード・ハミルトン(ビル・ハミルトンの息子)、ミック・オブライエンは、いずれも世界的なビッグ・ウエーバー。


注4:
エフカイ・ビーチはノースショアを代表するビーチのひとつ。毎年12月にトリプル・クラウン・オブ・サーフィングのひとつ、パイプライン・マスターズというコンテストが行われる。かつて、ここは伝説のライフ・ガードでありハワイのボディ・サーフィンのチャンピオン、マーク・カニングハ厶の職場でもあった。


注5:
救命用スレッドは大型のボディボードのようなスポンジのボードで、ブライアン・ケアウラナやテリー・アフエなどが中心になって開発した。この救命用スレッドは、今や世界中のライフ・ガードが取り入れている救助機具だ。


注6:
ライフ・ガードの試験は、毎年3月アラモアナ公園の前のビーチとラグーン(内海)を使って行われる。試験は三段階に別れていて、まず第一段階では、25分以内にラグーンの西の端から東の端まで1,000メートル泳ぎ、ビーチに上がって1,000メートル走り折り返してくる。その試験に合格すると、ラグーンに設置した縦一列にマークを浮かべた400メートルのコースをパドル・ボードでジグザグに通り、5分以内にゴールを通過しなければならない。第三段階では、よりライフ・ガードの仕事に近い試験で、まずビーチを400メートル走り、400メートル泳ぎ、またビーチに上がって400メートル走り、5分以内にゴールを通過しなければならない。毎年、シティ&カウンティに所属するすべてのライフ・ガードと新規採用予定者はこの試験にパスしなければならない。また、ドラッグ・テストもすべてのライフ・ガードにたいして毎年行われる。

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コメント

投稿者 paraisotaka : 2007年10月20日 17:11
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