
ハワイの史実にはたくさんのサメの神や女神が登場してくる。伝承では、ペレやフラの神でペレの妹のヒイアカや他のポリネシアの神々はタヒチからハワイへと移住してくる。
サメの神カモホアリイ(Kamohoali'i)は、ペレ(Pele)が最も敬愛する兄で、幸運を呼ぶ神とされている。クーハイモアナ(Kuhaimoana)もまたペレの兄弟。彼はカウラ環礁に住んでいたが、ペレの家族がハワイに移住するときに彼もハワイにやって来た。身長は54メートルあり、サメの女神カアフパーハウの夫になる。
カアフパーハウ(Ka'ahupahau)は、プウロア(パールハーバー)に住むサメの女神で、彼女はオアフの人々を人喰いザメから守っている。彼女と弟のカヒウカ(Kahi'uka)はともにふだんは人間の姿をしており、彼女は赤い髪の毛('ehu)をしていた。後に二人は、サメの姿に変身する。
パールハーバーの赤い頭の小さなサメという意味のカエフイキマノー・オ・プウロア(Kaehuikimano-o-Pu'uloa)は、ハワイ島プナ(注33)に住むサメの神だが、プナのパーナウで人間の姿として生まれ、カヴァ(コショウの木の根の汁)と母乳で育てられた。名付け親は、パールハーバーの女神、カアフパーハウだ。
カホリア・カーネ(Kaholia-Kane)はカラニオプウのサメ神で、カウアイ島プヒの洞窟(注34)に住んでいた。
ペレの兄弟のひとりで、鳥の兄弟であるナマカ・オ・カハイ、そして、ラナイ島カウノルー(注35)の魚の神など、いくつもの姿を持つクプア(半神半人)であるカーネアープア(Kane'apua)は、ある日おしっこをして、海にいた若いサメの兄弟のカーネとカナロアを怒らせてしまい、彼らは鳥になって去ってしまう。タヒチからの航海中、船長のワハヌイがカウナルー岬を通過した時、カーネアープアは大声で彼を呼んだ。ワハヌイはカヌーが一杯だと答えたが、カーネアープアを邪魔するためにカーネは嵐を起こした。カーネアープアは二つのクプアの丘に立ち去るが、カヌーは転覆する。ペレ一家がタヒチからの長い航海の最後になった、ペレの兄のカモホアリイはカーネアープアをニイハウ島に置きざりにした。しかし、ペレがカーネアープアをカヌーに戻すように熱望したので、カモホアリイは舵を戻し、カーネアープアを助けた。
ケアリイカウ・オ・カウー(Keali'ikau-o-Ka'u)は、カウーの人々をサメから守るサメ神。彼はペレのいとこであり、クアの息子ともいとこである。ある日、彼はカウーのワイカプナの村に住む一人の女性に恋をする。彼女は、緑色のサメを産む。クア(Kua)は、カウーのキングシャークと呼ばれるサメ神で、カウーに住む多くの人々の先祖でもあった。彼とカホリア・カーネは、オアフとカウアイ島の間に嵐を起こし、ペレとロヒアウとの結婚を妨げた。
ハワイ語の大家であるメリー・カウエナ・プクイは、『ハワイの地名』(注36)の中で、マノーがつけられた地名をあげている。マノーがサメのどの種をさすのか明らかではないと、彼女は断言を避けている。
モロカイ島ハーラウ地区にある一角はカイム・マノーと呼ばれているが、これは「サメのかまど」という意味だ。お祭りに登場するナナウエという名前のサメ男は、プクイによると、彼はカイマルに捕まり、その峰や丘で手荒く育てられた。プウマノー(サメの丘)という名の場所の左側の峰が彼の身体にあたる。オアフ島カマナヌイヴァレーにはマノーという名の峰があるが、伝承によるとそこにある洞窟にはサメ男が住んでいた。両方ともケアナオカマノー(Keanaokamano/洞窟のサメ)として知られている。
また、ハワイの伝承の一つにマノー・カナカ(Mano kanaka)というサメ男の話がある。マノー・カナカは、人喰いザメに変身して、海で泳いでいる人々を襲って殺すのだが、結局彼らの家族に殺されてしまう。同じうような伝承が、ビショップ博物館の庭先に置かれた、長さ280センチのパーホエホエ溶岩でできた円柱の石コハラ・シャーク・ストーン(注37)にある。たぶんホホジロザメの形と推測されるサメの姿をした石なのだが、ヒトを襲ったサメ男の碑として次のような伝承がある。
昔、ハワイ島コハラ(注38)にある小さな湾で一人の美しい少女が泳いでいた。ここではたびたびスイマーが行方不明になっていた。村人たちは、少女がいなくなることをとても心配していたが、ある漁師が、スイマーがいなくなるときには、そばで必ずカパアヘオの姿を見かけたことを思い出した。村人たちは相談して、少女が泳ぎに行くときについていくことにした。少女がその湾に泳ぎに行く寸前、また見かけない男が湾を見おろしていた。少女の姿が消えると同時に漁師は他の漁師に潜れと命令した。少女は空気の円柱に囲まれていた。漁師たちはサメを発見し、壮絶な闘いが始まった。彼らはモリでサメに深い傷を負わせ、手負いのサメは逃げていった。漁師たちが岸に戻ると、先ほどの見知らぬ男が瀕死の重傷を負い、血を流して倒れていた。その傷はまるで彼らがサメに負わせた傷そのもののようであった。男は死んだ瞬間、石に変わってしまった。
また、メリー・カウエナ・プクイは、ビショップ博物館プレス1983年度版で、古代ハワイ社会で伝承されてきたサメにまつわる諺(ことわざ)や格言について次のように記している。
【サメにまつわるハワイのことわざ集】
Pua ka wiliwili nanahu ka mano; pua ka wahine u'i nanahu ke kanawai
「ウイリウイリの木の花が咲く季節はシャーク・アタックのシーズンでもある。おんなが美しくなる季節はもめ事が多い」
ウイリウイリはハワイ原生のマメ科の植物で、花の開花シーズンは春先だ。テイトン・テイラー博士のシャーク・アタック・レポートによるハワイのシャーク・アタック月別頻度(1879年〜1992年)では、4月が圧倒的に多く16件、続いて6月の9件、11月、12月の8件となっている。
'Ai mano, 'a'ohe nana i kumu pali
「サメは食べているとき、前にある崖とトラブルを起こしたりはしない」
食事をする際の礼儀作法を戒めた格言で、作ってくれた人に感謝しないで、がつがつと自分の食欲だけを満たすような人は、明日には誰も食事を作ってくれないだろう。
E ao o pau po'o, pau hi'u ia mano
「前に行かないように注意しろ。サメのなかまで追いかけろ」
警告には色々な意味があることを戒めた言葉だ。ハワイ島ワイピオ渓谷(注39)に住むナナウエは、人間とサメの二つの姿を持っていた。村人が彼の農園を通って海岸に向かうときにナナウエは、彼らにサメがでるから危険ですよと、声をかけた。村人たちが通り過ぎると、彼は一目散に川に駆け込みサメに変身し水中から海へ先回りした。やがて、先刻注意した村人たちが泳ぎ始めると、全員サメになったナナウエが食べてしまった。ナナウエがいつも着ているオーバーを脱がせて、肩の付け根にあるサメの口を見つけないかぎり、誰一人ナナウエが半人半人喰いザメであるということは分からなかったろう。ナナウエは殺され、元の平和な暮らしに戻ったという。
He mano holo 'aina ke ali'i
「チーフはマノーであり、土地を行く」
大酋長というのは、サメのように威厳があるものだ。
He niuhi 'ai holopapa o ka moku
「ニヌイ(人喰いザメ)はその島中を食い尽くした」
ニヌイは、その狂暴性ゆえに怖がられる存在だが、ハイチーフや戦士とってニヌイは力の象徴であり、その力強いパワー、破壊力を望んだ。ホロパパはハイチーフや戦士が着るケープをさす。
Ho 'ahewa na ninui ia Ka'ahupahau
「ニヌイ(人喰いザメ)はカアフパーハウを非難する」
カアフパーハウはプウロア(パールハーバー)を守る女神のサメで、彼女は人喰いザメを殲滅した。
Kahu i ka lae o ka mano, he 'ale ka wahie
「波の燃料でサメの額の上を燃え立たせる」
食べ物をイム(掘ったカマド)に入れても、薪がなければできあがらない。ホストの講釈は、半煮えの食べ物と同じだ。
Ke one kuilima laula o 'Ewa
「砂はエヴァの息の掛かるところにあった」
ワイキキのチーフとワイケレのチーフは兄弟だった。ワイキキのチーフはいつも暴力をふるう攻撃的な男で、後者はのんびりといるも自分の家にいた。あるとき、ワイキキのチーフは漁に行き、ニウヒを釣り上げた。彼はその皮を引きはがし、サメの肉が欲しいかと、弟のところに使いを出した。承諾の連絡を受け取ったチーフはワイキキを出発した時、彼のナンバーワンの戦士が魚に変身させられてしまった。彼らはワイケレのチーフの館を長い腕で取り囲んだ。ワイキキの戦士たちがその腕に魚を投げ続けるとそれらは破壊した。
Ke pau ka moa, kaka i ka nuku; ke pau ka 'iole, ahu kukae; ke pau ka mano, lanao i ke kai
「鳥は(餌を)食べ終わるとくちばしを洗う。ネズミは食べ終わると汚い場所をさる。サメは食べ終わると海面に浮上する」
ある者はニワトリのようにきれいに食べ、ある者はネズミのように喰い散らかす。もっとひどい者は、サメのように、食べたというのにまた舌をだして食べ物を狙っているという、食事の際のマナーを動物にたとえていましめる格言。
Uliuli kai holo ka mano
「サメは暗い海で泳ぐ」
サメの目は機能的にも暗い方がよく見えるわけで、通常サメは深い海で見つかる。
Wela ke kai o Ho'ohila
「ホオヒラの海は温かい」
ハワイ語の元の意味は戦士に緊張感がないと危険が近づいても察知できないというものだが、現代では、サメは温かい海にいるとも解釈することができる。
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注33:
ハワイ島プナ(puna)地区は島の東部。
注34:
プヒ(puhi)の洞窟は、カウアイ島の南部。プヒとは吹くという意味。
注35:
ラナイ島カウノルー(kaunolu)は、ラナイ島の南西端部。カウノルー湾と古代ハワイアンの集落。近くにコロコロ洞穴、カヘア・ヘイアウと岩石彫刻がある。
注36:
『ハワイの地名』
原題『Plave Name of Hawaii』
著者:Mary Kawena Pukui, Samuel H. Elbert & Esther T. Mookini
出版社:Univercity of Hawaii Press
注37:
ビショップ博物館の庭先に置かれているコハラ・シャークストーン。たぶんホホジロザメと推測されている。様々なスタイルの石信仰はハワイばかりではなく、太平洋全域の島々で見ることができる。(ビショップ博物館所蔵)
注38:
ハワイ島コハラ(kohala)地区は島の北西部。
注39:
ワイピオ溪谷はハワイ島北東部にある深い溪谷。黒い砂浜のワイピオ湾とワイピオ川、古代ハワイアンの集落がある。
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