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神々の展望台、ヘイアウ。

2007年07月09日

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こうして、毎週一回日曜日の午前中にヘイアウの掃除に通っているうちに、わたしはヘイアウをいとおしく好きになっていた。掃除の合間、疲れた身体を休ませながら高台のヘイアウからあたりを眺める。なんといっても見晴らしがいい。ヘイアウを吹き抜ける風もここちよい。こんなところに展望台を作ったら、きっとすばらしい眺めが見れるだろうなというような眺望の開けた高台に、昔のハワイアンはヘイアウを作ったのだろう。日本の諺(ことわざ)では、バカとほこりは高いところが好きといっているが、わたしもハワイアンもヘイアウのような高いところが好きなようだ。以前、家のそばにある牧場の裏山の崖の中腹でウシが一頭海を眺めている姿を見かけたが、ウシもどうやら高いところが好きなようだ。高いところは、いろいろなものが客観的に見えてくる。


だからというわけでもないが、オアフ島に限らずほかの島へ行ったときには、なるべくヘイアウ詣でをこころがけるようになった。カウアイ島にもマウイ島にも、そしてハワイ島にも眺望が開けたヘイアウがたくさんある。ヘイアウ詣でをすると、気がつかなかったさまざまな島の表情が見えるようだ。たとえば、海が見えるヘイアウなら、珊瑚のつきかたとか潮の流れ、水深、そして風の強さや向きなどがわかる。夜になれば、月や星の観察に絶好の場所だろう。ハワイの天気予報では、流れ星予報というのもあるぐらいだから、運がよければ流れ星を見ることもできる。日本でも神社仏閣は霊験あらたかな特別な場所に建てられているが、ハワイでもヘイアウは、神々に一番近い特別な場所に建てられている。ヘイアウは、精神的にも俯瞰で人生が眺められる場所、瞑想をするのには恰好な場所にちがいない。


ハワイ大学の篠島教授が中心となってハワイの史跡を調査した記録『Sites of Oahu(1962)』(注6)によると、オアフ島には判明しているだけで100以上のヘイアウが発見・発掘されている(注7)。ノースショアだけでもプウ・オ・マウカ・ヘイアウを含めて15〜16のヘイアウがあった。眺めがもっともいいのはカエナ岬にあるヘイアウだが、このカラキキ・ヘイアウは、カラキキという名のサメの神が祭られていた。また、ここにはナーナウルというサメの神も一緒に祭られていて、いわゆるサメの神のヘイアウであったらしい。


ビショップ博物館のスタッフであったジョン・F・ストークスの研究によると、ハワイ島コナ海岸の北西のカハルウ湾の高台にあるクエマヌ・ヘイアウは、波のコンディションを祈願するために作られた、サーファーたちのヘイアウとして昔から知られていた。このヘイアウには、海から上がったサーファーが潮気を落とすために使ったとされる、水浴び用のプールがついている。また、ここには観覧席のような椅子付きのテラスがついており、かつて波乗りを終えたサーファーたちが、眼下にブレイクする波を眺めながら波乗り談義に花を咲かせたのであろう。わたしもこのヘイアウに行ったことがあるが、ここから眺めた美しい夕陽が印象的だった。


現代のサーフィン見物でもヘイアウは特等席だろう。ワイメア湾はビッグ・ウエーブが立つサーフ・ポイントとして知られているが、サーフィンのカメラマンにとってプウ・オ・マフカ・ヘイアウは重要な撮影場所の一つとなっている。ワイメア湾は昔から大きな波が崩れるところとして知られており、当時ワイメア溪谷に住んでいたハワイアンたちは、嵐の季節になると大波に立ち向かっていたという。ときとしてワイメア湾の入り口で崩れた大波は砂浜を乗り越えてワイメア川に逆流したが、彼らはその逆流した波に乗ってワイ・プエオネ(wai-pu'eone)というボディボード・サーフィンに似た遊びを楽しんでいた。エディ・アイカウ・メモリアルというコンテストはワイメア湾で行われるが、大波に立ち向かう選手たちのスリリングなライディングをヘイアウで見るのもまた格別の味わいがある。小山のような水の固まりが崩れ落ちる轟音は、ワイメア溪谷によって共鳴し増幅され、地鳴りのような音となり、あたり一面に咆哮するのである。


このコンテストのセレモニーでは、選手たち全員がサーフ・ポイントで輪になって手をつなぎ、首にかけていたレイを一斉に海になげ水を掛け合う。このハワイアン・スタイルの儀式をこのヘイアウの上から見ていると、それはあたかも数百年昔にタイム・スリップした錯覚に陥る。季節によってヘイアウは、ホエール・ウォッチングに絶好の場所となる。プウ・オ・マフカ・ヘイアウでは、1月から4月の中旬までがクジラ見物に最適な時期だ。生まれたばかりの子クジラが2〜3頭群れを作り、ノースショアの海を潮を吹き泳ぐ姿を眼下にすることができる。


古代ハワイ社会では、眺望が開けた場所に作られているヘイアウは、見知らぬ敵が攻めてきてたときの見張り台として、またほかの島への通信施設として機能していた。プウ・オ・マフカ・ヘイアウとカウアイ島ワイルアにあるヘイアウとの間では、煙や火を使って連絡を取り合っていたと史実には記されている。
1792年、ワイメア湾に一隻の帆船が入ってきた。ジョージ・バンクーバー提督率いるダエダラス号だ。彼らは、飲料水を求めて上陸し、ワイメアの住人といざこざを起こした。このプウ・オ・マフカ・ヘイアウに登りお供えものを略奪したために、ハワイアンの怒りをかい、3人の乗組員が殺されている。ヘイアウは、西欧人にとっては奇異な造作物に見えたに違いないが、当時すでにヘイアウが原住民の信仰の対象であったことを彼らは充分認識していたといわれている。ワイメア溪谷に住んでいた当時のハワイアンたちは、すでにカウアイ島と連絡を取り合い、帆船ダエダラス号がやってくるのを知り、戦いの準備を終えていたといわれている。


西欧人で初めてヘイアウを見たのは、1778年1月21日、カウアイ島ワイメア湾に降り立ったキャプテン・クックの一行だ。カパで包まれた20フィートの高さの神託塔や神に捧げられたブタなどの生贄(いけにえ)をのせた祭壇、木で彫られた複数の神の像や石の彫刻、酋長やカーフナの4棟の建物など、キャプテン・クックは、驚きをもってヘイアウの様子を記している。同行の言語学者ウイリアム・アンダーソンが最初に書きとめたハワイ語は、ヘイアウという文字だった。彼がハワイの航海で書き記した250語のハワイ語は、宣教師たちが本格的にハワイ語を体系化する以前のハワイ語を知る重要な資料となった。


こうしてキャプテン・クックの到来によって、ロノ、カネ、クー、カナロアをはじめとするハワイの古代の神々は、キリスト教との宗教戦争に破れ急速に衰えていった。現在、ハワイ語で行われている種々の宗教儀式は、すべてキリスト教の聖書のハワイ語訳により朗読されているだけで、ハワイの伝統的宗教に則って行われているわけではない。人類学者を含めて、古代ハワイの文化に興味を持つ者にとって残念なことは、カーフナという宗教者の口承伝承によって守られてきたハワイの古代密教のほとんどが、カーフナとともにことごとく失われてしまったという事実だろう。それとともに古代ハワイアンの信仰の対象であったヘイアウは、見捨てられ朽ち果てていった。


20代つづくハワイアンの名門ヘレマノ家の血統を受け継ぐブッチー・カウイヒマライヒ・ヘレマノが、汗水たらしてかいがいしく働く姿を見たわたしは、彼が荒れ果てさびれてしまったこのヘイアウを再建しようとしているのだと確信した。それ以上にブッチー先生がやりたいことは、ヘイアウ再建という物質的なものではなく、ハワイ古代宗教の再興やハワイ精神文化の復興という壮大なものなのかもしれない。彼は、すでに5年以上ボランティアでこのヘイアウの掃除を続けている。もちろん、草刈り機や溶剤などすべて自前である。ブッチー先生は、ヘイアウで結婚式をあげるとかヘイアウの観光ツアーをするとか、ヘイアウを利用して金銭を得ては絶対にいけないと諭す。


ブッチー先生は、ヘイアウの清掃作業が終わると、いつも丘の中腹に立つ大きな木の下に全員を集めて、お祈りをはじめる。みんなは、かぶっていた帽子、はめていた手袋を脱ぎ、手をつなぎ輪になって、こうべをたれた。かつてカーフナがこのヘイアウでお祈りしたように、ブッチー先生は、ロノの神に祈りを捧げる。「コウ・マーコウ・・・・・」、ブッチー先生が奏でる低くテンポのいいハワイ語の力強い詠唱は、黒く苔蒸した無機質の石が積まれたヘイアウにあたり、真夏の太陽が照りつけるプープーケアの丘をコロコロと転がり落ちていった。


ある日曜日の昼下がり、いつものお祈りを終えた後、ブッチー先生はわたしを車に呼び、プウ・オ・マフカ・ヘイアウの史実が書かれている一束のパンフレットを渡す。この小冊子もまたブッチー先生が、ヘイアウを理解してもらうために自費で作成したものだ。パンフレットは三つ折りにしてから、ヘイアウを訪れた観光客に配るようにと、彼はいう。わたしは、ブッチーのおめがねにかない、ヘイアウの宮司(カフ)見習いにしてくれたようだ。こうしてわたしは、クリスチャンが日曜の午前中教会に通うように、毎週日曜日の朝、プープーケアのヘイアウに通いはじめた。ロノの神の日曜礼拝のために。




注6:
『Sites of Oahu』(1962)
著者:Elspeth P. Sterling & Catherine C. Summer
出版社:Bishop Museum Press




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