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島のエース、椰子。

2007年05月31日

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彼もまたサーファーだった。何かの事故でもうこの世にはいない。

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彼は登山靴ならぬ、椰子の木上り専用の器具をはめていた。


ポリネシアの語源は、たくさんの島を意味するポリネシア語だが、地図で調べてみるとポリネシアには本当に小さな島が数多くある。その多くが珊瑚礁でできた島だ。ポリネシアに限らず太平洋の島々は珊瑚礁の島が多い。珊瑚礁の島は、隆起火山の島に比べ海抜が低く、降雨量も少ない。わたしが行った島のなかで一番印象に残った珊瑚礁の島はマジョロ島(注17)だろう。マーシャル諸島の主島であるマジュロは、64もの小さな島々が三日月型のようにひとつに集まった、絵に書いたような美しい環礁の島で、島の先端に行くとただ道路と両側の小さな砂浜だけになり、ついには海が立ちはだかり突き当たってしまうという、海抜1〜2メートルのフラットな珊瑚礁の島だ。


このマジョロ島の主要産品が椰子油の原料であるコプラということでも分かるように、珊瑚礁の島は、土地が石灰岩質で土壌が悪く作物の栽培に適さず、椰子以外に食用となるような植物が育たなかった。椰子は砂地でも発芽し成育が可能で、少々の塩水も潮風もいとわない島植物のエースである。だから、古代ポリネシア人は、長い航海を前にして一番先に大量の椰子の実を積み込んだ。椰子は、航海中においても、そして、新天地である新しい島の生活においても大切な飲料水であり、貴重な蛋白源でもあったからだ。そして、椰子は、屋根や壁などの家を建てるときの材料にもなり、幹もまたドラムなど、さまざまな工芸品として加工されていた。すべて捨てるところのないほど、島の生活にはなくてはならない椰子の木は、また過酷な島の自然条件で生活する島の人々の危機的状況かにおいても、助けられていた。干魃(かんばつ)になっても数か月はこの椰子の実だけで生き抜くことができたという。また、台風やハリケーン、高潮、津波に島が襲われたときには、人々は椰子の木に自らの体を縛りつけ、海に流されるのを防いだ。


争いごとや無計画な生産活動によって椰子などの島にある食べ物を食い尽くし、島を離れなければならなくなった事例がたくさんある。ポリネシア人の祖先が辿った、島から島へ移動しなければならなかったその歴史の背景には、無計画に島を食い尽くしてしまった愚かな人間の姿が浮かび上がってくる。


映画『ラパ・ヌイ』(注18)は、西欧人が太平洋に乗りだす200年前、イースター島を舞台にして伝説の巨石像モアイ(注19)と、島に住む二つの民族の争いを史実を元に描いているが、まさに島を食い尽くしてしまった古代ポリネシア人の様子がうかがわれる。その歴史では、祖先を崇拝するための偶像モアイを島の東部にあるラノ・ララク山の岩壁を切り出し、完成した像を海が見える絶壁に運び出す際にトロッコ代わりの丸太として使うため、島中の椰子の木をすべて切り倒してしまう。こうして、2つの部族の争いのため、畑は荒れ果て椰子の木も一本もなくなったために、人も住めない不毛の島になってしまう。こうして、ラパヌイに住んでいた人々は、最後には食料をを求めて、島を離れなければならなくなったという悲しいストーリーだ。




注17:マジョロ島(Majuro Atoll)は、マーシャル諸島(Marshall Islands)に属する環礁のひとつで、140平方キロの礁湖を64の島が細長く環状に取り囲んでいる。マーシャル諸島は、南緯5〜12度、東経161〜172度、西ミクロネシアに位置する。29の環礁と5つの島からなる。西北にはラリック(日の入)列島と東南にはラタック(日の出)列島という2つの列島がある。マーシャル諸島の名前の由来は、1788年、この島を通過した英国船の船長ジョン・マーシャルの名前にちなんで名づけられた。マーシャル諸島最大の環礁は、ラリック列島のクワジァリン。


注18:ラパ・ヌイ(Rapa Nui)は、イースター島を指しているが、ラパ(Rapa)は崖を、ヌイ(Nui)は大きいとかたくさんを意味する。かつてイースター島にはイヤリングをつけて耳たぶを引き伸ばす習慣のあった長耳族ハナウ・エペと短耳族ハナウ・モモコがいた。長耳族ハナウ・エペは、被支配者階級の短耳族ハナウ・モモコに命じて自分たちの祖先を崇拝するための偶像モアイを島の東部にあるラノ・ララク山の岩壁を切り出し制作させていた。完成したモアイ像をラノ・ララク山から祭事場へ運び出すために、彼らは島中の椰子の木を切り倒してしまう。長年に渡りモアイ像を作らされてきた短耳族ハナウ・モモコの不満がついに爆発し、長耳族ハナウ・エペに反乱を起こした。戦いは結局、短耳族ハナウ・モモコが勝ち、長耳族ハナウ・エペは滅んでしまうのだが、島には一本の椰子の木もなく畑は荒れ果ててしまい、ラパ・ヌイは不毛の島に成り果ててしまう。映画は、長耳族ハナウ・エペの主人公が短耳族の娘と一緒に、娘の父親が作ったカヌーで夕陽(西)に向かって島を脱出するところで終わる。映画では支配者階層や神官、カプー制度、バードマン・レースと呼ばれるある種の娯楽など、その当時の生活の様子が克明に描かれていて、ポリネシア文化に興味を持っている人には、お薦めの映画だ。


注19:モアイ(Moai)は、イースター島に残る巨石の像で、高さは3〜20メートルあり、最大は重さ50トン。モアイは、島の東部にあるラノ・ララク山から切り出された。島内には約1,000体残されている。かつてモアイの頭部にはプカオと呼ばれる円筒形の赤い石が乗せられていたが、この赤石は、島の西にあるプナ・パウ山から運ばれた。

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