かつて、キャプテン・クックがハワイを発見した1778年当時、ハワイにはだいたい30〜40万人のハワイアンが暮らしていたといわれている。それから75年後の1853年にハワイ全島で初めて行われた公式の人口調査では、7万1019人のハワイアンが確認されている。この人口調査の数字を逆算した最近の研究では、キャプテン・クックの来航時の人口は25万人と推測しているが、25万人としても、キャプテン・クック来航以来たった75年間で18万人ちかくの人口が激減してしまったのである。
西欧人がハワイにもたらしたものは近代的な文明ばかりではなく、コレラ、梅毒や、マイパケ(中国人病)と呼ばれた天然痘などの種々の病気と、ハエやカ、ねずみなど病気を媒介する小動物や昆虫類などがある。このように、ハワイアンの人口が激減した原因は、西欧人の持ち込んだ病気による死亡が最も大きく、ついで戦争や新生児の間引き、そして若者の流失などがあげられている。
1835年にはカウアイ島で砂糖の本格的な生産がはじまり、サトウキビ労働者が必要となった。しかし、もともとハワイには海にでれば豊富に魚が捕れ、タロ畑にはタロばかりではなく、バナナ、ブレッド・フルーツなどの食料が豊富に実っていた。そのため、ハワイアンは、彼らサトウキビ会社のために働かなくても食べていけたので、いわゆる労働の対価としての賃金という概念に乏しかった。また、ハワイアンは、基本的にかがんだ姿勢での作業が苦手であったため、人口の減少とあいまって、当時のハワイにはサトウキビ労働者としての働き手がいなかった。中国をはじめ日本などからサトウキビ労働者として移民がはじまるのは、こういった事情によるものだった。
移民の増加とともにハワイでは混血がさらに進み、いわゆるハワイアンのアイデンティティが薄れてゆく。こうして、ハワイの文化であるフラやサーフィンばかりでなく、ハワイ語すら話せるハワイアンが減少してしまい、20世紀初頭には、ハワイアンは、混血を含めても4万人にまで激減してしまった(表2)。

こうして現在では、純血のハワイアンの数は数千人といわれており、またハワイ語を日常語として話す人々も同じぐらいの数であろうと推定されている。しかし、一時、純血のハワイアンとともに言語としても数十年のうちには絶滅してしまうだろうと危惧されていたハワイ語は、ハワイの小・中学校の教育カリキュラムのなかに組み入れられており、片言とはいえハワイの人々に受け継がれてゆくようになった。
わがハワイ語の先生ブッチーはわたしにいう。「ハワイに住み、ハワイの空気を吸い、サーフィンを楽しみ、ハワイ語を話す。ハワイを理解し、愛していれば、おまえはもう充分ハワイアンだよ」と。わたしは、ハワイアン・アット・ハートな人種なのかもしれない。
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