
しかし、レースがはじまると彼はあっという間にわたしの前から姿を消した。サンセット・ビーチを越えたあたりから、わたしは作戦を練り直し、コースを直線に取れるように沖に向かうことにした。遠く微(かす)かにワイペア湾のはしっこが見えるあたりまで沖に出てみると、深さはもう20~30メートルぐらいあるのだろう、ダイビング中という目印の旗が海面を漂っている。その上、夏だというのに朝からノースショアにウネリが入っていた。沖からコースを横切るように押し寄せてくる、波長の長いそのウネリはパドルボードの横腹にあたり、パドルボードはその度に左右に振れ、とても漕ぎにくい。
コースのちょうど半分ほどにあるエフカイ・ビーチ・パークあたりまでくると、そろそろ疲れが出てきて、さらに、進行方向と逆のカレントに捕まったのか、パドルボードは全然前に進まなくなっていた。マラソンと同じで、ヒトは疲れてくるとあごが上がってくる。あごが上がると、ノーズが浮きでてしまいパドルボードが前に進まなくなる。サーフィンでもパドルボードでも原理は同じで、腹ばいになった状態で胸をあげるように上半身を反ることでボードのノーズ部分が押さえられ、ボードは水を切って前に進む。疲れてくると、あごが上がってしまい上半身が反れなくなり、ひっくり返ったカメのように手だけバタバタしている状態になってしまうのだ。
その時突然、以前見たパドルボードのカタログに、スポンジでできたチン・パッド(あご乗せ)が載っていたことを思いだした。なるほど、チン・パッドは疲れて上半身が反れなくなっても、あごを乗せてノーズを沈めるために使うんだ、と一人納得するのだった。そういえば、カタログには他にもおでこを乗せるパッドも売っていた。
ワイメア・ベイの入り口のコーナーにあるピン・ポイントというサーフ・ポイントにたどり着いたときには、本当におでこでボードを押さえてパドリングしなければならないほど、わたしは疲れ果てていた。ワイメア・ベイは大きくたゆたっていた。わたしのパドルボードは身体ごとゆっくりと空に持ち上げられた。と、そのとき、眼下にはなだらかなカーブを描くセクシーなワイメア湾の海岸線が見えてきた。疲れも忘れ、その美しい湾をパドルボードに跨がり、しばらく眺めていた。そして、達成感にひたる自分がそこにいた。

ワイメア湾を滑り降りるようにゴールに向かった。波打ち際でパドルボードを降り、砂浜を駆け上がってゴールとなるのだが、ちょうど波打ち際で続々とゴールする選手たちのパドルボードを整理していたフイ・オ・ヘエナルの会計係、マスター・ライフガードのテリー・アフエがわたしの顔を見つけて、一言「グッド・ジョブ!」と、笑顔で声をかけてきた。こうしてゴールしたわたしの成績は1時間8分、下から数えるほうが早いほど順位は悪く、タイムは遅かった。ちなみに、この時のレースの優勝タイムは30分13秒、優勝したギャレット・マクナマラは、平均時速11.2キロでパドルした計算になる。
さて、必死になって漕ぎまくるパドルボード・レースも達成感があっていいのだけれど、パドルボードの最大の魅力は、澄んだ海中の様子や海岸線の景色を眺めながら、のんびりとクルージングする海の散策にあるのだろう。陸地の喧騒を忘れ、心地好いオフショアの風に吹かれながら、ミズスマシのようにスイスイと水をきって進むパドルボードは、夏の海の自転車とでもいえばよいのだろうか。海の達人ジェリー・ロペスはあるとき、こんなことをわたしに言っていた。「パドルボードをやるとき、ぼくは偏光レンズ付きの水中メガネをかけるんだよ。そうすると、太陽の光が反射し輝いて見えにくかった海面が透けて海の中が見えるようになり、カラフルな熱帯魚や白いサンゴ礁にウミガメ、ときにはイルカさえ観察することができるんだ」と。
レースが終わったある風のない夏の夕方、サンセット・ビーチを車で通りがかると、コバルト・ブルーに輝くサンセットのはるか沖で、パドルボードにまたがりプカプカと海に浮かびながら涼んでいるジョージの姿を見かけた。
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投稿者 yui : 2007年05月12日 05:00
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