77年冬

2007年04月11日

30年前の稲村ケ崎
遠くに富士山、伊豆半島をバックに、半分ちょん切れているのが江ノ島です。整理していたら出てきました。家並みを見ると、だいぶ様変わりしたのが良く分かります。とにかくサーファーの数が少ないことに驚きですね。このクリヤーな景色は、まさしく冬(Feb 77)の景色。
低気圧が抜けて本来だったら、西風がどん吹くはずなのですが、波を見に来たら、あっ!て感じ。オフショアーのナイスなコンディション!はやる気持ちを押さえて、家まですっ飛んで戻り、なぜかサーフボードではなくカメラを持って再び海岸へ、景色を一望する崖の縁まで乗り出して撮りました。もちろんデジタルではなく、フィルムです(プロの方におねだりしてけっこう頂きました)。撮ってすぐ、モニターでチェックなんて便利な時代とは違い、カメラ屋さんに出して、忘れた頃にようやく届く。これが又すぐに取りに行かれない、なぜかって?金がないからですよ(笑)。長いときは3ヶ月くらい、カメラ屋に預けたこともありました。プロでもない私が、望遠レンズを手に入れる訳でもなく、カメラに最初からくっついていたレンズ頼りに、波のあるときは、急いで撮って、すぐに海に飛び込む、こんな感じですからサーフィンの写真がないのです。岸から他人のサーフィンを、ファインダー越しにじっと見るなんて所詮私には、無理(望遠レンズが買えなかった負け惜しみ 笑)。それでも友達と連れ立って、サーフトリップへ出かけるときは、必ずカメラは携行していました。缶ビールと魚肉ソーセージのささやかな宴シーンや、新しいボードお披露目の得意満面な様。お神酒が効きすぎてトランス状態のお姿、尊敬する先輩の仕事ぶりなど、今こうして見るとけっこう楽しい。


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話は例の開発計画にブリ帰りますが、小動から逗子の渚橋まで、134号線の4車線化の話があります(今現在は止まっていますが)。昔に比べ、ただでさえ小さくなってしまった砂浜。これをつぶして、4車線ですか?
頭おかしいんじゃないの!

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稲村ケ崎のインサイドとアウトサイドブレーク。大きいときは、エキスパートオンリーですからKOOKS は遠慮しましょう。


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コメント

投稿者 T : 2007年04月11日 17:22

出川さん、こんにちわ。
77年の稲村ガ崎は今と違って砂浜が広いのに驚きます。

この砂はどこに行っちゃったのでしょうか?開発の影響なのか。それとも大きな自然のサイクルによるもので後何十年もしたら帰ってくるのか。(この頃と今とダムの影響って一緒なのかしら?)

なんにせよ世界中で自然保護と開発の闘いは行われているようですね。鎌倉しかり、カリフォルニアしかり、インドネシアしかり。

波乗りの視点だけではただのエゴだと思いつつも、波乗りするからこその視点で主張したい。そんな微妙なバランスが難しいですね。

投稿者 いしぐろ : 2007年04月11日 21:45

出川さん、こんばんわ!

77年二月の稲村から見る海岸線のお写真は最高です。で、134号線沿いに小さく見えるORANGE色の建物はCALIFORNIA T・SHIRTSのショップですか?

早速取り出した雑誌ポパイの6号(1977 5/10 230 yen)のP12-P13を見るとORANGE色した屋根の上に大きなCAL.Tの看板。二階の窓は今では真似の出来ないセンスの好いT-シャツで飾られています。ショップの前にはドジ・井坂さん、長沼さん、吉田昭二さんと奥田兄弟のお二人が!ドジさんの前を横切るのは赤い帽子を被った地元のタコ釣り名人。P23-24にはショップ二階の様子が見ることが出来てテカテカに光る真っ赤なCREATIONの板が壁に飾られています。

因みにタイトルは「日本のサーフィンは何といっても湘南・・・」

話は変わりますが、鵠沼に存在したSURF BOUTIQUE STEAMER LANEってどんなショップだったんですか?三十年を過ぎた今でも気になります。機会があれば教えて頂きたいです。

奥が深すぎて、頭がパンクしそうです。時代を収めた素敵なお写真、今日もありがとうございました。

投稿者  でがわ : 2007年04月13日 09:55

Tさん、書き込みありがとう、鎌倉も行政が世界遺産登録申請してるのご存知でしょ。富士山も出しているのですが、今だにだめです、5合目までバスで、どんどん人を上げ、そのために駐車施設拡張てどーなんですかね。それこそバランス感覚なし!鎌倉幕府なんて、この景色を前にしては、そんな大きなことではないような気がするのですが、波乗りしない人だって分かりますよ。

投稿者 でがわ : 2007年04月13日 10:14

MrISHIGUROポパイの記事ほんとうですか?キャルTの前にドジですか。鵠沼のショップはヒロ飯田さん(詳しくはホットラインUSA ホームページをチェック)がやってました。なくなる前にはシェープルームになり、青田タクジも削ってました。

投稿者 いしぐろ : 2007年04月14日 01:21

出川さん、おはようございます!

SURF BOUTIQUE STEAMER LANEの由来が分かりました。(今更ですが・・・)

ホットラインUSAのホームページで社の歴史(The full story;物語の全て)を読ませて頂いて動かぬ歴史的な事実を知る事が出来ました。

そこで、知らない人に簡単に和訳して説明したいと思います。宜しくお願い致します。

時は70年代後半、サンタ・クルーズの快楽岬で波をチエックしていたDoc.Scott氏の前に現れた日本人のお二人。お名前はHiroo Iida氏とMesehito Kito氏で、日本から来た二人は地元のモーテルを探していたそうな。二人が日本に於ける波乗り製品の開発に携わっていることも知らずにサンタ・クルーズにある家に招き入れる。同居するDoc.Scott氏のお嬢さんでBrenda Scottさんと出会う結果となる。男女の出会い(恋愛物語ではありません)はHiroo Iida氏との友愛に始まり、文通を通して深い友愛にと変化して行く。国際貿易の視野を共有し、1979年にHOTLINE社が設立される。

ここまでがヒロ飯田氏のお話。

ここからはHOTLINEを命名した出川さんのお話になります。

歴史のタイトルはDefinition of Hotline(ホットラインの定義)。その名は海に入っている出川さんがウエットスーツのデザインと商品名を考えている時に想い浮かんだ。その日はとても寒く、出川さんは「ウエットにニクロム線が引かれていれば良いなぁ(暖まるので)」と脳で想う。ニクロム線は日本語で熱線。熱線を直訳すると今度はHeat Lineと解読。HeatlineからHotlineへ、HOTLINE命名。

鵠沼に存在したSURF BOUTIQUE STEAMER LANEはサンタ・クルーズがギュツと詰まつたシヨップであつたことは確かだと思います。改めて、あの看板の出来(コロニアルな雰囲気)に涙。

ちよっと、ふざけて・・・
西海岸風に言うなら「Man,it's cool!」東海岸だったら「What's the fuck!?」。オージー風に言えば「Bloody shit!」で、日本語で言えば「最高!」です。

Peter FramptonのアルバムFrampton comes aliveがこの時代の気分になるのでしょうか? 曲名Something's happeningとDoobie Wahが僕の気分です。

本当にありがとうございました。