タフなレジェンドサーファー達!
2007年03月26日この旅の始まりは、鎌倉をスタートしてから一路海岸線を南下して伊豆の白浜までが初日の行程。
その後は東名高速で一気に西へと下り、京都までが第二行程。
そして四国へ渡り、再び京都へ戻りそれから途中真っ赤に色着いた、紅葉を見ながらの、日本海若狭までのドライブ。
かなり強行軍の移動ではあったが、そこはサーファー、波と美味いものと、地元ローカルとのコミュニケーションで、疲れを吹っ飛ばす術の持ち主達、さほど苦にならない様子だった。それどころか、海外レジェンドサーファー組のタフな事、コンビ二での息抜きを楽しんでいた(あんなに、なんでもそろったコンビになんて、世界中探してもないからね、お菓子を買ったりしながら、楽しんでいた)。
二台のバンに荷物と人を分散しての移動。
私の車には、パタゴニアの笠原(現在はフリーのアドベンチャーガイド)ミッキー・ムニオス、愛犬シシ丸、そしてカーゴスペースいっぱいのサーフボードである。もう一方の車には、藤倉克己(パタゴニア)大久保友美(SFJ の初代代表)、ジョン・中島、イボン・シュナイド、ジョーイ・キャベル、レラ・サン。
こんなキャラクターの強いメンツの集団移動はとにかく大変だった。とくに食事の時間。皆さん、よく食べ良くしゃべる。一度なんかラーメンはほとんど、のびきってました。一口食べては、一休み、そしてしゃべる、見かねた藤倉が、“箸を置くな! ”と笑いながら叫んでいた(笑)。
次の目的地への到着時間を管理しなければならない、彼の立場からすれば当然の事、しょうがないよね。こんな感じだから、目的地到着は日が暮れてから、なんて事もあった。あたりがすっかり暗くなった頃、今宵のお宿”テント ”の設営も終わり、一休みと思ったら、その横でイボンが、新しい素材のアウターに身を包み、テストだといって、夜空の下で(けっこう寒い)そのまま寝入ってしまった。アウトドアーライフのエキスパート、いつどこでもR&D を欠かさないスピリットに、学ぶ事多し。
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昨日のセッションが夢のよう、朝起きたら波は消えていた。波乗りの写真がないのは、おわかりですよね、本人ガッツリ、サーフィン楽しんでいたからです。踊るなんとか、見るなんとか、同じなんとかなら・・・という訳でした。
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彼らは、どこでも、どんなときでもストレートに自身を見つめる。サーフィンで使った体のケアーを怠らない。
イボン・シュナイド、ミッキー・ムニオス。
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よしっサーフィン行くぞ!会話中の二人の間に割り込んで、ラッシュガードを着込む、イボン・シュナイド。
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レラ・サン。マカハの太陽!ハワイの太陽!サーファーの太陽!いつも明るく笑顔で微笑みかける、ビーナス。脳腫瘍と戦いの末、この世を去った、伝説の女性。写真は、すでに癌におかされ始めた頃のレラ。大久保友美の鴨川赤堤、テトラによる埋め立て反対運動に、いたく感銘を受け、このツアーに参加した。


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コメント
投稿者 石黒広作 : 2007年03月27日 02:26
出川さん、おはようございます。
あれ?アドに新しいお友達が加わったんですね。
先週の土曜日に出川さんのお店でイギリスのお話、もろもろ大変矯めになりました。出川さんと皆さんとグミを噛みながらの会話も最高でしたね。お店に登場するなり、おもむろに取り出した板に跨がって「勉強が足りない!」と言われたのも嬉しいですが、僕には出川さんが自分の自分に乗っているようで、鳥肌が立つほどの感動しました。その板、今日のお題に登場するパタゴニア・カラーでもあるサファイア(色番:598)に激似でアクセントのポテッとした白いストライプが印象です。
今回のお題を英語に変えるとしたら、”続Great Patagonians, adventures deep local Japanese lifestyle and speak noodles?となりましょうか?決められた行程は強行で強靭な人でなければ出来ない事だと思いますが、Great Patagoniansのその未知の国に対する好奇心は、箸をおきながら話をしなければ結論が出ない程の事だったと思います。日本では、相手の話を聞いた後に話すのが筋ですが、外人の場合はコアな仕事で無い限り、会話は入れ混じるって当たり前。最後は、大声で怒鳴りあうほど・・・、やかましいですけど、コレだと僕は思います。
偉大なるレジェンドを知らずして、波乗りを語れず。早々に調べてみました。そのJoey Cabell氏は1938年12月10日のハワイ生まれ。ご家族が軍艦に従事する民間人であった為に真珠湾攻撃が牽引となり、氏と母がミネソタにある農家へ旅立つ。二年後にハワイに戻る。
七歳にして11フィートのパドルボードで波乗りを覚える。その先はバルサ・ボードで果敢に攻撃的とも表現出来る波乗りのスタイルが誕生する。ワイキキに住み、靴磨きや麦藁帽子を編んで観光客に売ったり・・・George Downing氏が試みる初期の板で練習をして、Beach boysの代表格でもあるRabit Kekai氏と共にオアフとマウイを十代にしていろいろなコンデイションで腕を磨いたという。
15歳、ホット・ロッドに好奇心を持った氏は波乗りを止め、ホット・ロッドに関係する仕事に就くためカリフォルニアに移住する。そして、溶接工とメカとして働くが二年後に挫折する。そこで生涯の友であるミッキー・ムニオス氏がサーフインの魅力、興味を再注入するのである。続・・・
藤倉克己氏は歴史の人なので、詳しく知りませんが、エスクアイアー日本版1998年10月号 臨時増刊を読んで知りました。内容を簡単に紹介致します。ページは058から061の4ページで構成されています。
059と059の見開きが氏の自宅ガレージです。ぶっ飛びます!几帳面で繊細な日本人流なガレージに見えてとつてもカッコイイです。
059には小さい写真があり、氏がデスクに脚を投げ出してのビジネス・コール、ため息です。羽織るパタロハ・シヤツの作品名:パラダイス、品番52531。
060では椰子の木の下、9本のクイーバーを取り巻き愛犬(名前:不明)をヨコに従え、和むその雰囲気と来た時には・・・愛犬の前足(右)のテニスボール(黄色)もいい感じです。
061では空手を披露。凄い迫力でこれぞ本当のJapanese Patagonianと知らしめる一枚です。
記事を読んで、当時ビィーングで社員募集をしているのは周知の上、いきなりベンチュラに行って会社の扉をノックしようと考えたほどの感動でした。
横浜の港の近くで行われたセールに行った時のことです。会場の中をフラフラと歩いているとその藤倉克己氏がこちらに向かって、のそのそと歩いて来ました。何かのオーラは感じました。
本人インタビューは出川さんのお話しをプラスする事で改めて理解が深まりました。
最近ではサーフ・シヨップで入手したfree paper(A4サイズ)のLJ Creative Culture Media Ljの2006年5号。氏のインタビユー(ページ06-07)があり、9年前のインタビューとリンクして紐解くと氏のより丁寧な説明と安心感が奥深くから伝わる感じがします。インタビューの中にはレラ・サンさんも登場し、鎌倉店オープンに伴うインテリア・コーデイネイトに来れていた事も知りました。出川さんの納めたレラ・サンさんの写真とお話で理解度アップです。
鎌倉が選ばれた由来にも触れており、鎌倉の自然を守るためにあえて街中にしたのも分かりました。
パタゴニアのお店は全て、路地裏の再利用の建物(但し、雰囲気が必要です。)鎌倉の場合は大通りに面しており、逆転の発想から環境と町並みを守り、環境の保護、安らぎを求めたのだと思います。出川さんがご紹介した場所は誰もが求めて止まない場所なのだと僕は思います。
レラ・サンさん、とってもチヤーミングですね。そして、写真の軽量Snap-Tのプリントの名品ですね。
1994年の春夏カタログのページ93にあります。
作品名(柄):トロピカル
色:インク ブルー
色番:495
改めてレラ・サンさんのご冥福をお祈り致します。
最後に、ミッキー・ムニオス氏の穏やかな海を指差すユーモラスとイボン・シュナイド氏がアンダーを着込みながらの乱入、とお二人の柔軟運動、全て!コレですね。
長い文面でスイマセン。
ありがとうございました。
投稿者 でがわ : 2007年03月27日 13:29
調べついでに、70年代サーファーマガジンで取り上げた、サウスパシフィックへの、カタマランによる、セーリングアドベンチャーを研究なさると、彼らの凄さが、よりはっきりしますよ。
投稿者 石黒広作 : 2007年03月27日 19:58
出川さん、こんばんわ!
書き込みを読んで頂けた事を嬉しく思います。
早速、調べに入りたいと思います。
ありがとうございました。
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