師走 2015

2015年12月24日

今では、サーフボードシェープは、私の仕事、生活の糧、創作活動、ライフワーク・・・etc.

振り返れば60年代には、サーフボード自体のサプライが少なく、自分の望む道具がなかなか無かったのが現状、なおかつ、中学生の小僧には、欲しくてもとても手のでる代物ではなかった。

当時、大卒初任給が25,000円程度、池袋の西部デパート輸入した3本の、ハンセンサーフボードの価格が123,000円!(ちなみに為替が1ドル360円)
欲しかったけど~、そんなの買える訳が無いし!親にねだっても、顔洗ってこい、と、いわれるのが関の山。 

そんな、貴重なボードをゲット出来たのは、1本はCHPの中村さん(故人)もう1本は大磯ビックウエーバーズの宮戸さん、もう一本はどなたのもとに行ったか、
わかりませんが・・・とにかく羨ましいかった。
海では、それらを触る事すら遠慮して、ただただ、当巻きに、
指をくわえてながら、よだれを垂らしながらか、漏らしそうになりながら、見入ってた記憶があります(笑)。

なければ、作っちゃえ!そんなこんなで、自作するという、環境が必然と出来上がったのです。
鎌倉界隈、鵠沼界隈、茅ヶ崎界隈、都内下町界隈、
これが日本のサーフボードインダストリの始まりとなる訳です。
欲しいけど、自分たちが欲しいものが無い、有っても高価なものばかり、それじゃー作っちゃうかー精神みたいなものが満ち溢れていました。

60年代初頭は、ヨットのディンギーの作り方。キール(今でいうストリンガー)を中心に細かく骨組み(模型飛行機の羽の作り方)外側をベニヤ板で塞ぐ。
空洞だと、べこべこするから、発砲スチロールを押し込んだりして、表面は、ペンキで仕上げたり、後半に入ると、ポリエステル樹脂、グラスファイバーで、
ラミネートして、水の浸入を防ぐ工夫がなされたが、結果、とてつもなく重い代物になった。(25キロ~30は軽く有ったと思う)

僕が、本格的に触り始めた67年頃には、この工法は既に下火に、代わりに、ポリウレタンフォームが主流になっていた。
とはいえ、建築資材の流用で、10×250×30のスラブタイプ(四角いブロックタイプ)。
それを2本、真ん中にストリンガーを挟み、ゴムバンドでクランプする、という、今じゃー考えられないだろう、手法で、まず、ブランクスを作ったのだ。

今日では、自分のシェープイメージに有った、フォームを100種類近い中からチョイス出来き、
その分、ディーティールに神経を集中、本来のシェーパーとしての仕事に専念出来るようになった。
この事で、ボードを削るから、”サーフィンのスタイルを想像”(乗り味)するへ、サーフボードシェーパーとしての仕事がシフトした(楽しくなった♫)。

物の無い時代から、物が有り余ってる時代に。60年初頭に始まった日本のサーフィンもまさしく、この道を歩んできた。
満たされていない時は、道を探すのは簡単だったが、道が増えることで、迷う事もふえる、さーて、どーしようか、そんな事を考える12月になってしまった。

シェープ後余裕の表情をみせる本人。
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