79年辻堂

2007年06月29日

善家 誠が当時、世界の強豪と渡り合った、世界大会は今日のASP ではなく、IPS(インターナショナル プロ サーファーズ)が、プロサーフィンを組織立って運営をしていた。日本のプロサーフィン はNPSA(JPSAの前身)により運営されていたが、どこかで大見栄を張ってでも世界のサーファーを集めて、大会を開く事が運営サイドの悲願だった。当時NPSAのヘッドだった小川秀之のもと、業界全体の協力を御願いして、やっとこさ開催にこぎ着ける事が出来たのがこの大会だ。


当時のプロサーフィン業界は、まだ巨大インダストリーの出現も無く、各メーカーが非力ながらに、積極的に海外プロサーファーとコンタクトが出来た時代だ。ビクトリーウエットスーツは、マーク・リチャードと契約をしていたり、ハワイ勢はT&Cからデーン・ケアロハ、この大会で優勝した、リノ・アベリラは小室正則がスポンサーとなっていた。こうしたメーカーと運営サイドの協力関係で成り立った、世界大会。今になって思えば、皆さん凄いエネルギーを持っていた。

この大会を開催出来たのは、現場を仕切っていた、ハワイのランディー・ラリックの人力に他ならない。IPSはハワイのフレッド・ヘミングスによって設立されたが、実際の現場はランディーの手腕で動いていた。このランディーとNPSAを掛け持ってくれたのが、フリュードパワーの藤沢ジョージである。(現在は茅ヶ崎でベアーサーフボードを展開)彼がハワイで、サーフィンを始めた当時からの友人が、ランディーだったこと。力強い助っ人に、大会開催までの多くの困難を乗り切れたのだった。


大会決勝はサイズダウンしたものの、大会スタート時はコンスタントな波に、当時のトップサーファーの、目の前でのパフォーマンスは今でも、鮮明に覚えている。会場となった辻堂ものんびりムードいっぱい、砂浜はサーファーの交流の場となった。70年代も終ろうとしている、湘南での世界大会。古き良き時代であった。

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会場となった辻堂海岸、ギャラリーの女の子達、何とも笑えます。

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誰だかわかりますか、当時グローメッツでトム・キャロルとしのぎを削っていた、シェーン・ホラン。

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パイプラインマスターズでも優勝した、オーストラリアのラリー・ブレーアー。


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