ALWAYS ASTEP AHEAD

2007年06月13日

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この人に関してはいろいろなエピソードがある。
我々鎌倉のサーフ小僧の間で、最初に耳に伝わって来た、鴨川のサーフヒーローである(この時我々は鴨川がどこなのかも知らなかった)。何せこの人は、グーフィースタンスもレギュラースタンスも、どちらも使いこなし、ノーズライディングに関して、右に出るものはいないと聞かされ、まだ見ぬヒーローを神格化していたのであった。


私がはじめて彼を見たのが、鵠沼のプールガーデン。
現在はスケートボードパークになっている場所で、ホンダのスーパーカブに、手作りキャリヤーを装備し、サーフボードをゴムバンドで縛り付け、当時まだ舗装されていない、鴨川から金谷までの山道を走り、途中フェリーを使いながらやって来たのだ。このサーフトリップは鵠沼をパスして、伊豆の白浜までの計画であったが、道中、50CCのバイクは有料道路を通るのはまかりならん、といわれ、難儀な旧道でのサーフィン行脚を断念、宇佐見の岩場で一人サーフィンを楽しんだと後で聞いた。この時の様子を川井はこう語ってくれた。”宇佐見のグーフィーはやたらホレていて、ヤバいのでレギュラー方向にサーフしたら、浅瀬のリーフで足をずたずたにやっちゃった!”


スーパーカブに牽引スタイルのキャリヤーを引っ張っての、サーフトリップをしてしまう川井幹夫先生に、衝撃を受け、鵠沼でのサーフィンの印象が残っていない。先進的で独走性的行動力は私にはない。二つ年上にも関わらず、ミキオと呼び捨てにする傍ら、(たまにムットしておられる 笑)本当の意味でサーファーとしてリスペクト出来る存在である。


72年には、ドジ井坂と3人で日本代表として出かけた、世界大会(サンディエゴ)では、一番好成績を残し、皆から、ミクロ川井(笑)と呼ばれ天性のキャラクターが光っていた。第三回の全日本大会(七里ケ浜)では川名孝夫と稲村が崎の我が家に泊まったりと、それ以来長い付き合いをさせてもらっている。今日の日本サーフィンを牽引して来た功績は大きく、生粋の千葉ローカルそして、日本サーフィン界のレジェンドである。

P.S.
写真は1973年の全日本プログラムの裏表紙、マリブサーフボードのアドバタイジングに載った、師である。


レジェンドの行動力に感心した人もクリックよろしく!!

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コメント

投稿者 藤城文子(旧姓佐藤ふみちゃん) : 2009年03月13日 15:30

ずーっと会っていない川名孝夫君を探していてこのページにたどり着きました。
鴨川の川名なら必ず私の探している川名孝夫君なので、今でも彼と連絡をとっていらっしゃるなら是非私に連絡して欲しいと伝えてください。大学時代の同級生です。元気なのか心配しています。