1967 コロッケパン
2008年07月11日川南 活とのインタビューにたびたび登場してくる、トールゲイトの話。
日本のカウンターカルチャーの始まりはここ鎌倉の七里ケ浜だ。
太陽が特別なまぶしさをましてきた初夏の七里ケ浜トールゲイトには、何か特別な雰囲気が有った。
どこからともなく集まってきた連中は、皆サーフィンをしていた。サーファーが集まってきたのではなく、集まってきた奴らが、サーフィンをしていたのだ。ヒナがのんびりレールの倒し方や、ノーズまでの歩く早さを競っていたが、その動きは自然でキラキラ光っていた。時は東京オリンピックも終わり、高度成長のスタートが切られた頃、生活の質をもので計る時代。都心の一流企業へ通う事が、たいそうなステイタスで、この片田舎からも毎朝決められた時間に江の電は、せっせと人を運んでいた。
小生17才、進学か就職か選ばなければいけない時期、何をしてよいか全く分からなかった。
ただ良い波を捕まえると、それはそれは気持ちが良い事ぐらいしか、感じられなかったが、ここが自分の職場だと分かるまでにそんなに時間はかからなかった。朝は早くから海に入り、昼食は近所の肉屋へ出かけ、あげたてのコロッケにソースをかけてもらい、パン屋で食パン一斤まるごと仕入れ、七里ケ浜の階段でばくつく。そんな我々といつも一緒だったのが、横須賀や座間の軍属の子供達だった。いつしか昼時になると、例のランチの調達に一緒に出かけた。徴収した小銭を握りしめ、コロッケの買いしめに向かう。言葉は分からないが、腹が減った事だけは、お互い理解していた。そんな一人が写真のビル、脇に抱えるハーバーのボードは、その後かわをはがされリシェープされた。覚えていますよこの板。ビル本人から活チャン経由のネットで届いた写真。
早いもんだ、あれから41年。相も変わらずコンビ二でコロッケパンを買ってしまう小生です。


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