ローカリゼーション

2016年09月29日

長く感じた、カビが生えそうだった長雨から一転、むしむしの30度越え天気。

マッ、気象なんてそんなもの、人間様の勝手な希望なんて、無視ーッ!!!!、と、思えば、良い事もある。

外へも出ず、思い出の品々の整理をするには絶好の天気と、無理矢理考えたのである。
出てくるは出てくるは~、懐かしい写真に、懐かしい顔。アルバム整理に火が付き、作業は終わらなくなってきた。
冷蔵庫の買い置きビールに手を伸ばし、スイッチバッチーン、はじまりはじまり、もはや身辺整理の域に達してきたのだ。

本人が消えた後、いかがわしい写真が出てきたり、秘密な交友関係が発覚したり、と、巷では、よく聞く話だが、俺のフェミニズでは絶対許されないこと。

一番気持ちのいい時期に、こんな天候にストレスがかかるかと思いきや、アマゾンにお願いしていた、ポスターの整理ボックスが届いたり、久米仙の43度がとどいたりと、絶好の内勤、すなわち、整理整頓の環境が揃ったのである。

そんな中、いつも、ご無礼しているメールをチェックしたり、友人にくだらなく無駄なメールを投げたりと、結構、暇つぶし出来る事を発見、こーなると止まらないのが、私の性分。ホコリに咳き込みながら、時の立つのも忘れ、43度のホロ酔いも手伝い、平積みの写真の整理に没頭。

おー懐かしいの~、一人で、しゃべりながら(完璧老人の域)証拠も同時に丸めて処分、大変良い機会じゃの~。

don't look backは座右の名なのだが、一息付いて振り返るのも、良いかも、と、思えてきた。
どーせ、一息ついた後、又やりたい事が出てきて、結局完璧な身辺整理なんて出来っこ無い、そー断言できる、心境の中(都合の良い解釈)何時飽きるともなく、整理はつづく。

楽しくない思い出もあるけど、やはり、楽しい思いのほうが良い。でも、その時、大変だった事の方が、振り返ると楽しかったり、とか、この手の整理は、頻繁に作業の手が止まる事が多い。

90年代ロングのルネッサンスが世界的に始まる前、ティーム・デガワ・インターナショナル(TDI)を結成してサンタクルーズのコンテストにティーム参加したりした。
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そのファンダーが写真のジロー。
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サンノゼがITの街として騒がれ始めた頃に、既に現地で働き、週末はサンタクルーズでサーフィン、そんな彼が探してきたのがロングのティームコンテスト。
地元鎌倉のサーファーを連れて行ったり、当時ロングのムーブメントを造ったプロ連中を連れて行ったりと、中心的な役割を買って出てくれた。(僕にインターネットの概念を教えてくれた人)
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一息ついてメールチェック、そんな彼からのメッセージが入っていた。サイト、リニューアルしたからチェックして~。
さすが、プロのテクニカルライター。(使い捨て100円ライターとは違う)”ローカリゼーション”概念の提案である。

サーファーがよく口にするローカル!、ローカル!を、グロバリゼーションの先端をいくITのディレクションに当てはめるところは、流石!
地元ローカルとビジターのもめ話はよく耳にするが、この方にコンサル受けるのも良いかもですね。
www.hanaue.net/



新島

2016年08月30日

つい最近もJPSAの大会が、新島で行われ、ネット上での写真を目にし、相変わらず綺麗な海、ビーチブレークのドッカ~ンウエーブに、想いを馳せていた。

いつだったか(たぶん1968年)、新島出身の植松清に誘われ、竹芝から東海汽船で彼の実家、新島へ出かけたのが初めてだった。

夜の10時過ぎ、夏休みの帰省やダイビング、釣り人でごった返す、カオス状態の竹芝桟橋。
行き先ごとに看板が立てられ、我れ先、乗船を争う様(殺気立つ)列が出来る、が、さすがにサーフボードを持った奴は見かけなかった。

乗船名簿なる紙切れに、名前、住所を記載し、手荷物扱いのサーフボード(有料)に荷札用のタグを受け取り付ける指示だったが、針金をツイストして止めるタイプのもで、縛る場所が無く、
テープでボトムに張った。(ちなみにボードケースなるものも無く、むき出しのまま)

デッキまで溢れた乗客との陣取り合戦が始まり、まごまごする我らに、こんな状況に慣れた、植松の誘導でスムーズに進む。

甲板後尾、二階までボードを運び込むのだが、一人が桟橋から、ボードを差し出し、それを、既に陣取りが終わり場所の確保をしたものが、受け取る、という、システムに関心しながら、
この先一体どーなるんだろ!不安と期待の交差する興奮状態は、出帆のドラの音でさらに増幅、カラフルな紙テープが幾重衣にも絡まりながら、岸壁を離れ、蒸し暑い夏の夜空を、赤く染めるの京浜工業地帯を右手に、ゆっくりと東京湾出口に向かいクルーズを始めた本船。
植松の差し入れの缶ビールで、少し落ち着きを取り戻し、いつしか、不慣れな乗船の疲れもあり、甲板のゴザの上で、寝入ってしまった。

明け方船が停船してる事に気づく、が一行はだれ一人起きようとしない。まだ新島ではなく、大島だった。そーかっ、色々島を経由しながら目的地までの航海だった。

この定期航路は人を運ぶ以外にも、物資の運搬もかねているので、港での停泊が長い。生活物資から、車、建築資材から、家畜まで、と、次々とクレーンで、運び降ろされる光景は、
離島の生活を垣間みれ、夏休みを、植松家でお世話になる、心得を取得したのであった。

やがて利島で、再び人、物資をおろした後、新島へと向かう。この辺りから海の色が代わり、コバルトブルーの海面を船主が切り裂く、スープの白さとのコントラストが、夏休み!海だ!サーフィンだ!の浮いた気分をさらに、あおってくれる。時たま、海面を滑空するトビウオに外海にでた事を確認しながら、順調にクルーズ、どんどん海の色が変わって行く!

当時、新島は現在の用に立派な桟橋がなく、本船が接岸出来ず、沖に停泊し港の間を、行き来するハシケが、人、物資を、運ぶ全ての手段。
大きく揺れる、小さなハシケに、アッパーデッキから来た時と同じ様にボードを素早くを手渡して、荷物を持ち、下に降り、本船に横付けされた、ハシケに飛び乗る。
下船ではなく、海上乗り換え!当時、新島詣での正式な儀式であり、このとき荷物を落としたり、と、ハプニングが毎回のイベントであった。

島に一歩踏み入れての印象は、白かった!特徴的、抗化石が、島全体を覆い広い海岸線(羽伏浦)がつづき、透明度の高い海とブレークする波で交あう。
この白い砂が、沖合に滑り出し、所々にバンクを造り、左右に均等なブレークで、ビーチブレーク特有なダンパー状態を防いでいた。
今は、海岸の砂も減り、海底が深くなり過ぎたため、小さいうねりのサーフが難しいが、当時は、夏に多い南西風が、オフショアな面を保ち、太陽のもと、それはそれは、ファンな遊び場だった。

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写真は70年の第2回の新島盃の風景。手軽なデジタルカメラも携帯もない、古き良き時代。

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ボードが極端に短くなったのもこの時代、まさにロングからショートへの移行期。シングルフィンにノーリッシュ、ワイプアウトでボードを流す事は、コンペでは致命的な時代であった。
サーファーが持つ独特な原始人的テイストも、この時代が最後かもしれない。